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【三百諸藩の幕末の動向】東北の諸藩/関東の諸藩/東海の諸藩/甲信越の諸藩/北陸の諸藩/近畿の諸藩/中国の諸藩/四国の諸藩/九州北部の諸藩/九州南部の諸藩 【その他リストなど】幕末明治の艦艇/御三卿・幕府直轄地拠点/幕末人物 墓所訪問 【晋作の愛した下関】豊北町・豊浦町/豊田町・菊川町/吉母・吉見・福江/向日・井田・田倉/吉田・清末/安岡・綾羅木・延行/長府/市街(下関~唐戸)/彦島 |
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長州藩人物録 | ||||||
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支藩:長府藩5万石 長府毛利家 長府陣屋、勝山御殿 徳山藩3万石 徳山毛利家 徳山陣屋 岩国藩6万石 吉川家 岩国城 孫藩:清末藩1万石 清末毛利家 清末陣屋 長州藩は、周防と長門を領国とした外様大名。関ヶ原の役後に、領地を1/3厳封され辛酸を舐めたことから、江戸時代を通じて倒幕が極秘の国是であったとも伝えられ、多くの攘夷志士を育てる土壌となった。 | |||
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あ行 |
青木 研蔵 あおき けんぞう (1815-1870) 長州藩 | 種痘で伝染病の予防に勤めた蘭方医 変名:青木吉次郎、青木子祐 主な役職:長州藩御側医、大典医 剣術:- 墓所:那須塩原市青木旧青木家那須別邸 | ||
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青木 周弼 あおき しゅうすけ (1803-1864) 長州藩 |
大村益次郎を藩へ召し抱えるよう願書を提出した蘭方医 変名:青木邦彦、青木月橋 主な役職:教授蘭学掛、御側医 剣術:- 墓所:那須塩原市青木旧青木家那須別邸 |
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青木 周蔵 あおき しゅうぞう (1844-1914) 長州藩 |
条約改正に奮闘した外務大臣 変名:三浦團七、青木月橋 主な役職:外務省次官、駐独公使、駐英公使、外務大臣 剣術:- 墓所:那須塩原市青木旧青木家那須別邸 |
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青山 清 あおやま きよし (1815-1891) 長州藩 |
条約改正に奮闘した外務大臣 変名:青山長清 主な役職:椿八幡宮宮司、初代靖国神社宮司 剣術:- 墓所:不明 |
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赤禰 武人 あかね たけと | |||
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有吉 熊次郎 ありよし くまじろう | |||
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飯田 正伯 いいだ しょうはく |
松下村塾門下生人物録へ | ||
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飯田 俊徳 いいだ としのり |
松下村塾門下生人物録へ | ||
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生田 良佐 いくた りょうすけ |
松下村塾門下生人物録へ | ||
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石川 小五郎 いしかわ こごろう (1837-1861) 長州藩 | 来島の後を継いで遊撃隊の総督となった血気盛んな攘夷過激派 変名:河瀬真孝、河瀬安四郎 主な役職:遊撃隊総督、工部少輔、駐英公使、枢密顧問官 剣術:- 墓所:東京都港区青山霊園 | ||
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伊藤 博文 いとう ひろぶみ | |||
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井上 勝 いのうえ まさる (1843-1910) 長州藩 (長州ファイブ) | 鉄道の父となった長州ファイブの一人 変名:野村弥吉 主な役職:鉄道長長官、鉄道院顧問 剣術:- 墓所:東京都品川区東海寺大山墓地 | ||
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井上 聞多 いのうえ もんた (1836-1915) 長州藩 (長州ファイブ) | 幕末明治を駆け抜け政財界大きな影響を持った元老 変名:井上勇吉、志道聞多、井上惟精、井上馨 主な役職:九州鎮撫総督参謀、外務卿、外務大臣、農商務大臣、内務大臣、大蔵大臣 剣術:- 墓所:東京都港区長谷寺 | ||
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入江 九一 いりえ くいち |
松下村塾門下生人物録へ | ||
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岡部 富太郎 おかべ とみたろう |
松下村塾門下生人物録へ | ||
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大村 益次郎 おおむら ますじろう (1824-1869) 長州藩 | 陸軍の基礎を作り上げた軍略の天才 文政8年、周防国の医師の家に生まれる。洋学・兵学に明るく、近代兵器と西洋的組織・陣法を備えた中央集権的軍隊を構想。緒方洪庵の適塾で学ぶ。宇和島藩に出仕。西洋兵学、蘭学の講義と翻訳を手がけ、宇和島城北部に樺崎砲台を築く。安政元年から翌安政2年には長崎へ赴いて軍艦製造の研究を行う。長崎へは二宮敬作が同行し、敬作からシーボルトの娘で産科修行をしていた楠本イネを紹介され、蘭学を教える。安政3年江戸で鳩居堂を開塾。蕃書調所教授手伝、講武所教授として幕府に出仕。万延元年、長州藩に迎えられて慶応軍制改革に参画し、慶応2年の第二次長州戦争では、石州口方面の実戦指揮を担当。その戦術は最新の武器と巧妙な用兵術に加え、無駄な攻撃を避け、相手の自滅を誘ってから攻撃を加えるという合理的なもので、旧態依然とした戦術に捉われた幕府側をことごとく撃破するなど、彼の軍事的才能が遺憾なく発揮されたものであった。戊辰戦争では事実上の新政府軍総司令官として指揮を行った。明治2年、新政府の兵部大輔となり軍制改革を提案、藩兵の親兵化構想と衝突。守旧派・草莽志士に怨まれ、同年京都で襲撃され約2ヶ月後に没する。 変名:村田宗太郎、村田蔵六、村田良庵、大村永敏 主な役職:軍学指南役、有栖川宮東征大総督府補佐、兵部大輔 剣術:- 墓所:山口市鋳銭司町 | ||
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尾寺 新之丞 おてら しんのじょう |
松下村塾門下生人物録へ | ||
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か行 |
桂 小五郎 かつら こごろう (1833-1877) 長州藩 | 逃げの小五郎と云われた維新の三傑の一人 天保4年、萩城下の藩医の家に生まれる。七歳で隣家桂九郎兵衛に乞われてその養子になるが、養子になってからほどなく養父・養母が死んだ為少年の身で桂家の当主になる。十二歳で藩校明倫館に通い、そこで吉田松陰に山鹿流兵学を学ぶ。嘉永5年、剣術修行の為江戸留学し、神道無念流剣術の免許皆伝を得て練兵館塾頭を務める傍ら、長州開明派の中で頭角を現す。蛤御門の変後の俗論派による粛清時には行方をくらますが、高杉晋作の軍事クーデター後、高杉晋作・大村益次郎たちによって、長州正義派政権の統率者として迎えられる。慶応2年、土佐藩の坂本竜馬らの斡旋をうけた桂は長州の代表として、秘密裏に薩長同盟を結び、倒幕へと進んでいく。維新後、総裁局顧問専任として迎えられ、当初から「政体書」による「官吏公選」などの諸施策を建言し続けてた。文明開化を推進する一方で、版籍奉還・廃藩置県など封建的諸制度の解体に務め、薩長土肥四巨頭による参議内閣制を整えた。海外視察も行い、帰朝後は、かねてから建言していた憲法や三権分立国家の早急な実施の必要性について政府内の理解を要求し、他方では新たに国民教育や天皇教育の充実に務め、一層の士族授産を推進する。長州藩主毛利敬親、明治天皇から厚く信頼された。 | ||
変名:和田小五郎、木戸貫冶、木戸準一郎、木戸孝允 主な役職:外国事務掛、参与、参議、文部卿、内務卿 剣術:神道無念流剣術 墓所:京都霊山護国神社 | |||
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桂 太郎 かつら たろう (1848-1913) 長州藩 |
3度の総理大臣を経験したニコポン宰相 弘化4年、長州藩士桂與一右衛門の長男として生まれる。万延元年、藩の正規軍である選鋒隊に入隊。元治元年、世子毛利元徳の小姓役となる。慶応2年の幕長戦争では、大村益次郎が指揮する石州口の戦いに参加した。戊辰戦争では、奥羽鎮撫総督参謀添役や第二大隊司令として各地を転戦するが、庄内藩との戦いで苦戦を強いられた。明治3年、ドイツに留学。明治6年に帰国して、陸軍に入隊した。山縣有朋の引き立てにより、順調に昇進。日清戦争には、名古屋第3師団長として出征している。その後、台湾総督を経て陸軍大臣となり、明治34年に内閣総理大臣に就任する。西園寺公望と交互に組閣して、「桂園時代」を築き上げる。在任中、日露戦争や韓国併合などの事件が起きている。大正2年、脳血栓により死去。 |
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変名:桂清澄 主な役職:奥羽鎮撫総督参謀添役、名古屋第3師団長、陸軍大臣、内閣総理大臣 剣術:- 墓所:東京都世田谷区若林 |
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楫取 素彦 かとり もとひこ (1829-1912) 長州藩 |
草創期の群馬県政を担った初代県令 |
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変名:松島久米次郎、松島内蔵次郎、小田村伊之助、小田村文助、小田村素太郎、楫取希哲、 士毅、耕堂彜堂、晩稼、棋山、不如帰耕堂 主な役職:明倫館都講役、群馬県令、元老院議官、高等法院陪席裁判官、貴族院議員、宮中顧問官 剣術:- 墓所:防府市桑山大楽寺墓地 |
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来嶋 又兵衛 きじま またべえ (1817-1864) 長州藩 | 禁門の変で憤死した長州藩の猛将 | ||
変名:来嶋政久、喜多村亀之進、喜多村光次郎、来島光次郎、森鬼太郎、森喜太郎 主な役職:所帯方頭人、遊撃隊総督 剣術:大石神影流剣術、大島流槍術、鏡心明智流剣術 墓所:京都霊山護国神社、光市室積峨嵋山護国神社、美祢市西厚保町高岡墓地 | |||
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久坂 玄機 くさか げんき (1820-1854) 長州藩 |
攘夷を唱えた長州尊攘のさきがけ |
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変名:久坂権太郎、久坂真又静、久坂天籟、久坂真 主な役職:適塾塾頭、医学館都講役 剣術:ー 墓所:萩市椿東椎原護国山墓地 |
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久坂 玄瑞 くさか げんずい |
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国司 親相 くにし ちかすけ (1842-1864) 長州藩 | 禁門の変の責任をとり切腹した三家老の一人 天保13年、長州藩士高洲元忠の次男として生まれる。6歳の頃、国司迪徳の養嗣子となり、家督を継いで大組頭となった。家柄も然ることながら、親相は若い頃から聡明だったため、次第に頭角を現してゆき、文久2年には長井雅楽の切腹検視役正使も務めている。同年、久坂玄瑞らと共にアメリカ船ペングローブ号を砲撃し、下関海峡を封鎖。朝廷からも褒勅の沙汰を賜わった。この功績により、国司は下関防備総奉行に任じられる。しかし八月十八日の政変で長州藩が京都から追放されると、国司は家老に昇格した上で、同じく家老の益田親施や福原元僴らと共に京都における長州藩の影響力を取り戻そうと挙兵。禁門の変を引き起こしたが、薩摩、会津連合軍の前に大敗。戦乱を起した敗軍の責を負わざるを得なくなった。藩主父子が国司に与えた軍令状が発見されたことも重なり、朝廷から毛利敬親の追討令が発せられ、長州藩は朝敵となった。 やがて、第一次長州征伐が始まり、総大将徳川慶勝、参謀西郷隆盛が、広島へ36藩15万の兵を集結させて長州へ進軍する。西郷隆盛は、禁門の変の責任者である三家老国司、益田、福原の切腹、三条実美ら五卿の他藩への移転、山口城の破却を撤兵の条件として伝え、長州藩はそれを受諾。国司は徳山澄泉寺にて切腹した。 | ||
変名:高洲丑之介、国司徳蔵、国司熊之助、国司信濃、国司朝相 主な役職:上席家老 剣術:ー 墓所:厚狭郡楠町天龍寺 | |||
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神代 直人 こうじろ なおと (?-1869) 長州藩 |
大村益次郎を殺したテロリスト |
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変名:- 主な役職:- 剣術:不明 墓所:不明 |
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さ行 |
佐久間 佐兵衛 さくま さへえ (1833-1864) 長州藩 (四参謀) (甲子殉難十一烈士) |
野山獄に消えた四参謀の一人 |
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変名:赤川直次、赤川直次郎、佐久間義済 主な役職:- 剣術:- 墓所:萩市東椿東光寺 |
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宍戸 佐馬之介 ししど さまのすけ (1804-1864) 長州藩 (四参謀) (甲子殉難十一烈士) |
野山獄に消えた四参謀の一人 |
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変名:宍戸山三郎、宍戸九郎兵衛、宍戸真澂、宍戸忠美、橘廂、鳰浮巣翁、宍翁 主な役職:- 剣術:- 墓所:萩市東椿東光寺 |
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品川 弥二郎 しながわ やじろう |
松下村塾門下生人物録へ | ||
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白井 小四郎 しらい こしろう (1838-1868) 長州藩 |
少年を助けようとして死後称えられた長州藩士 |
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変名:- 主な役職:- 剣術:- 墓所:二本松市竹田真行寺 |
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杉山 民治 すぎ みんじ (1828-1910) 長州藩 |
松下村塾を再興した松陰の兄 |
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変名:杉梅太郎、杉修道、杉学圃 主な役職:民政主事助役、山口県権典事、松下村塾主宰、修善女学校校長 剣術:ー 墓所:萩市椿東椎原護国山墓地 |
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杉 百合之助 すぎ ゆりのすけ (1804-1865) 長州藩 |
良き理解者であった松陰の父 |
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変名:杉常道、杉伯兪、恬斎 主な役職:記録御次番役、呉服方、当職内用方、盗賊改方 剣術:ー 墓所:萩市椿東椎原護国山墓地 |
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杉山 松助 すぎやま まつすけ |
松下村塾門下生人物録へ | ||
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周布 政之助 すふ まさのすけ (1823-1864) 長州藩 | 長州攘夷派書生達に慕われた長州藩重臣 | ||
変名:周布兼翼、麻田公輔、松岡敬助 主な役職:家老 剣術:ー 墓所:山口市周布町船田墓地、萩市椿東東光寺、東京都港区青山霊園 長門市三隅下 向島山頂 | |||
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世良 修蔵 せら しゅうぞう (1835-1868) 長州藩 | 奥州諸藩から恨まれ殺された主戦派 | ||
変名:木谷修蔵、大野修蔵 主な役職:第二奇兵隊軍監、奥羽鎮撫総督府下参謀 剣術:ー 墓所:白石市陣馬山、福島市宮町福島稲荷神社 | |||
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た行 |
大楽 源太郎 だいらく げんたろう (1832-1871) 長州藩 | 攘夷を貫き通し時代に取り残された教育者 | ||
変名:大楽奥年、大楽弘毅 主な役職:忠憤隊隊長、敬神堂主宰 剣術:ー 墓所:防府市大道大楽家墓所、久留米市寺町遍照院 | |||
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高杉 小忠太 だかすぎ こちゅうた (1814-1891) 長州藩 |
優秀な藩の管理職であった晋作の父 |
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変名:高杉弥四郎、武藤弥四郎、高杉小左衛門、高杉丹治 主な役職:奥番頭、直目付、学習館御用掛、大監察、権大参事 剣術:ー 墓所:東京都港区瑞聖寺、下関市吉田東行庵 |
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高杉 晋作 だかすぎ しんさく |
高杉晋作略歴へ |
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竹内 正兵衛 たけうち しょうべえ (1819-1864) 長州藩 (四参謀) (甲子殉難十一烈士) |
野山獄に消えた四参謀の一人 |
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変名:竹内勝愛、竹内清喜、松永鼎 主な役職:- 剣術:- 墓所:長門市三隅下八谷家墓地、萩市東椿東光寺 |
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玉木 文之進 たまき ぶんのしん (1810-1876) 長州藩 | 松下村塾を開設し幼き松蔭を教育した松陰の叔父 | ||
変名:玉木正一、玉木正? 主な役職:松下村塾主宰、大組証人役、代官、郡奉行、郡用方、奥番頭 剣術:ー 墓所:萩市椿東椎原玉木家墓地 | |||
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坪井 九右衛門 つぼい くえもん (1800-1863) 長州藩 | 藩政改革を実施した俗論党の首領 | ||
変名:坪井正裕、坪井子寛、坪井顔山 主な役職:江戸方手元役、撫育方、産物方 剣術:ー 墓所:萩市上五間町光源寺 | |||
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寺島 忠三郎 てらしま ちゅうざぶろう |
松下村塾門下生人物録へ | ||
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時山 直八 ときやま なおはち |
松下村塾門下生人物録へ | ||
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富永 有隣 とみなが ゆうりん (1821-1900) 長州藩 |
国木田独歩の小説のモデルにもなった偏屈者 |
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変名: 富永徳、 富永悳彦、富永弥兵衛 主な役職:松下村塾講師、定基塾主宰、鋭武隊隊長、帰来塾主宰 剣術:ー 墓所:山口市陶郷上正護寺 |
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な行 |
長井 雅楽 ながい うた (1819-1863) 長州藩 | 攘夷の愚を説き時代の先を見据えた開国論者
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変名:長井与之助、長井与左衛門、長井隼人、長井右近、長井時庸 主な役職:直目付 剣術:ー 墓所:萩市大字北古萩町海潮寺 | |||
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中村 九郎 なかむら くろう (1819-1864) 長州藩 (四参謀) (甲子殉難十一烈士) |
野山獄に消えた四参謀の一人 |
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変名:中村清旭、中村喜八郎、中村道太郎、中村九郎兵衛、白水山人 主な役職:- 剣術:- 墓所:萩市東椿東光寺 |
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楢崎 弥八郎 ならさき やはちろう (1837-1864) 長州藩 (甲子殉難十一烈士) |
政変により刑死した甲子殉難烈士 |
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変名:楢崎清義、楢崎節庵 主な役職:政務座役 剣術:- 墓所:萩市東椿東光寺 |
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根来 帯刀 ねごろ たてわき (1816-1892) 長州藩 | 高杉晋作の反乱軍が襲った萩藩新地会所の奉行 | ||
変名:根来長五郎・根来帯刀・根来勢之祐、根来親祐 主な役職:長州藩家老 剣術:ー 墓所:不明 | |||
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野村 靖 のむら やすし |
松下村塾門下生人物録へ | ||
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乃美 織江 のみ おりえ (1822-1906) 長州藩 | 池田屋殉難士を見殺しにした藩邸留守居助役 | ||
変名:乃美宣、乃美幸之進、乃美半兵衛 主な役職:長州藩京都留守居役、山口藩大属、萩部支庁、兵庫伊弉諾神社宮司 剣術:ー 墓所:不明 | |||
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は行 |
広沢 真臣 ひろさわ さねおみ (1834-1871) 長州藩 | 外交政務に奔走した長州の功臣 | ||
変名:柏村季之進、波多野金吾、広沢藤右衛門、広沢兵助 主な役職:参与、海陸軍務掛、東征大総督府参謀、内国事務掛、京都府御用掛、民部大輔 剣術:ー 墓所:東京都世田谷区松蔭神社 山口市赤妻町赤妻神社 | |||
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福田 侠平 ふくだ きょうへい (1829-1868) 長州藩 | 心酔していた晋作の隣に眠る奇兵隊軍監 | ||
変名:十川侠平、福田悠々、福田公明 主な役職:奇兵隊軍監 剣術:ー 墓所:下関市吉田東行庵 | |||
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ま行 |
前田 孫右衛門 まえだ まごえもん (1818-1865) 長州藩 (甲子殉難十一烈士) |
野山獄に散った長州正義派の政務官僚 |
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変名:前田利済、前田致遠、前田岩助、前田陸山 主な役職:当職手元役、直目付、用談役 剣術:ー 墓所:萩市東椿東光寺 |
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前原 一誠 まえばら いっせい |
松下村塾門下生人物録へ | ||
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槇村 正直 まきむら まさなお (1834-1896) 長州藩 | 維新京都を救った豪腕知事 | ||
変名:羽仁半九郎、槇村半九郎 主な役職:蜜用聞次役、京都府参事、京都府知事、行政裁判所長官、貴族院議員 剣術:ー 墓所:東京都府中市多磨霊園 | |||
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松島 剛蔵 まつしま ごうぞう (1825-1865) 長州藩 (甲子殉難十一烈士) |
功山寺挙兵に伴い俗論派に処刑された甲子殉難烈士 |
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変名:- 主な役職:初代海軍総督、丙辰丸艦長、庚申丸艦長 剣術:- 墓所:萩市椿東東光寺 |
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椋梨 藤太 むくなし とうた (1805-1865) 長州藩 | 正義派を弾圧した俗論派の首魁 | ||
変名:椋梨景治 主な役職:家老 剣術:- 墓所:萩市大字江向徳隣寺 | |||
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村田 清風 むらた せいふう (1783-1855) 長州藩 | 幕末長州藩の財政の基礎を築いた長州藩重臣 | ||
変名:村田亀之助、村田四郎左衛門、村田織部、村田順之、村田松斎、村田梅堂 主な役職:明倫館書物方、表番頭、江戸仕組掛 剣術:- 墓所:長門市三隅大歳山 | |||
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や行 |
山尾 庸三 やまお ようぞう (1837-1917) 長州藩 (長州ファイブ) | 工業の父となった長州ファイブの一人 | ||
変名:山尾富士太郎 主な役職:工部権大丞、工部大輔、工部卿、法制局長官 剣術:神道無念流剣術 墓所:東京都品川区海晏寺 | |||
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山縣 有朋 やまがた ありとも |
松下村塾門下生人物録へ | ||
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山県 太華 やまがた たいか (1781-1866) 長州藩 |
松陰と国体論争を繰り広げた明倫館学頭 |
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変名:吉田半七、山県禎、山県文祥、山県大華 主な役職:明倫館学頭 剣術:- 墓所:萩市北古萩町保福寺 |
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山田 顕義 やまだ あきよし |
松下村塾門下生人物録へ | ||
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山田 宇右衛門 やまだ うえもん (1813-1867) 長州藩 |
幕末長州藩の行政に尽くした政務首座 |
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変名:増野吉十郎、山田又三、山田頼毅、山田星山、治心気斎 主な役職:相州警衛総奉行手元役、学習院用掛、政務首座 剣術:- 墓所:山口市古熊 古熊墓地 |
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山田 亦介 やまだ またすけ (1809-1865) 長州藩 (甲子殉難十一烈士) |
政変により刑死した甲子殉難烈士 |
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変名:山田憲之、山田公章、山田卯七郎、山田愛山、含章斎 主な役職:編輯局総裁、政務座右筆 剣術:- 墓所:萩市東椿東光寺 |
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大和 国之助 やまと くにのすけ (1835-1865) 長州藩 (甲子殉難十一烈士) |
政変により刑死した甲子殉難烈士 |
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変名:大和弥八郎 主な役職:世子奥年寄、直目付 剣術:- 墓所:萩市東椿東光寺 |
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吉田 松蔭 よしだ しょういん (1830-1859) 長州藩 | 長州の若き書生達を育てた狂気の教育者 | ||
変名:杉虎之助、吉田大次郎、吉田寅次郎、吉田矩方、吉田義卿、二十一回猛士 主な役職:松下村塾主宰 剣術:ー 墓所:小塚原回向院、東京松陰神社、萩市椿東椎原護国山墓地 | |||
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吉田 稔麿 よしだ としまろ |
松下村塾門下生人物録へ | ||
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ら行 |
わ行 |
渡辺 内蔵太 わたなべ くらた (1836-1865) 長州藩 (甲子殉難十一烈士) | 政変により刑死した甲子殉難烈士 | ||
変名:渡辺久之助、渡辺広輔、渡辺介亭 主な役職:世子御納戸役、政務座役 剣術:神道無念流剣術 墓所:萩市大字北古萩町海潮寺、萩市東椿東光寺 | |||
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