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【三百諸藩の幕末の動向】東北の諸藩/関東の諸藩/東海の諸藩/甲信越の諸藩/北陸の諸藩/近畿の諸藩/中国の諸藩/四国の諸藩/九州北部の諸藩/九州南部の諸藩 【その他リストなど】幕末明治の艦艇/御三卿・幕府直轄地拠点/幕末人物 墓所訪問 【晋作の愛した下関】豊北町・豊浦町/豊田町・菊川町/吉母・吉見・福江/向日・井田・田倉/吉田・清末/安岡・綾羅木・延行/長府/市街(下関〜唐戸)/彦島 |
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薩摩藩人物録 | ||||||
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支藩:佐土原藩5万石 島津家 佐土原城 薩摩藩は、外様大名でありながら加賀藩に次ぐ大藩である。藩政のみならず、幕政にも影響を与えるその政治力は、外様大名から将軍正室を輩出したのは薩摩藩のみであることからもその影響力が伺える。幕末初期には会津藩と手を結び、後には長州、土佐と結ぶなど政治力を持って維新の原動力となった。 | |||
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あ行 |
赤山 靭負 あかやま ゆきえ (1823-1850) 薩摩藩 |
西郷隆盛が影響を受けた斉彬派中心人物 変名:島津靭負、赤山久普 主な役職:鑓奉行、軍役方掛 剣術:- 墓所:日置市日吉町日置城ノ下桂山寺跡 |
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有馬 新七 ありま しんしち (1825-1862) 薩摩藩 | 寺田屋にて憤死した薩摩の過激派攘夷志士 変名:坂木新七 主な役職:- 剣術:直心影流剣術 墓所:日置市伊集院麓 | ||
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有村 次左衛門 ありむら じざえもん (1839-1860) 薩摩藩 | 井伊直弼を仕留めた薩摩藩唯一人の桜田十八士 変名:有村兼清 主な役職:- 剣術:薬丸自顕流剣術、北辰一刀流剣術 墓所:東京都港区青山霊園 | ||
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有村 雄助 ありむら ゆうすけ (1835-1860) 薩摩藩 | 井伊暗殺の後に捕らえられ自刃させられた烈士 変名:有村兼武 主な役職:- 剣術:薬丸自顕流剣術 墓所:東京都港区青山霊園 | ||
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伊地知 正治 いじち まさはる (1828-1886) 薩摩藩 |
合伝流の用兵で薩軍を勝利に導いた名軍師 変名:伊地知竜駒、伊地知竜右衛門、伊地知季靖、一柳 主な役職:造士館教授、東山道先鋒総督府参謀、薩摩藩権大参事、左院議長、宮中顧問官 剣術:薬丸自顕流剣術 墓所:東京都港区青山霊園 |
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大久保 利通 おおくぼ としみち (1830-1878) 薩摩藩 | 近代日本の基礎を作り上げた維新三傑の一人 変名:大久保正助、大久保利済、大久保一蔵 主な役職:御小納戸頭取、参議、大蔵卿、内務卿、宮内卿 剣術:- 墓所:東京都港区青山霊園 | ||
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大山 巌 おおやま いわお (1842-1816) 薩摩藩 |
近代陸軍創世期に活躍した陸軍元帥 変名:大山岩次郎、大山弥助、大山赫山、大山瑞岩、大山清海 主な役職:満州軍総司令官、陸軍大臣、陸軍参謀総長 剣術:薬丸自顕流剣術 墓所:那須塩原市下永田大山元帥墓所 |
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大山 綱良 おおやま つなよし (1825-1877) 薩摩藩 |
西郷軍を資金面で支えた鹿児島県令 変名:樺山熊次郎、大山正圓、大山角右衛門、大山格之助 主な役職:奥羽鎮撫総督府下参謀、鹿児島県大参事、鹿児島県県令 剣術:薬丸自顕流剣術 墓所:鹿児島市上竜尾町南洲墓地 |
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か行 |
海江田 信義 かいえだ のぶよし (1832-1906) 薩摩藩 | 愚兄賢弟と嘲笑され大村暗殺の黒幕とされる人物 変名:有村太郎熊、有村俊斎、海江田武次 主な役職:東海道先鋒総督参謀、元老院議官、貴族院議員、枢密顧問官 剣術:薬丸自顕流剣術 墓所:東京都港区青山霊園 | ||
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桂 久武 かつら ひさたけ (1830-1877) 薩摩藩 |
薩摩藩の陰の功労者 変名:島津四郎、桂歳貞、桂歳光、桂小吉郎、桂右衛門 主な役職:造士館演武係方、薩摩藩家老、鹿児島藩権大参事、薩軍大小荷駄本部長 剣術: 墓所:鹿児島市上竜尾町 南洲墓地 |
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日下部 伊三次 くさかべ いそうじ (1814-1859) 水戸藩 薩摩藩 |
薩摩隼人の血をかきたてる幕末薩摩藩での最初の国事殉難者 変名:日下部信政、日下部翼、日下部九皐、日下部実稼、深谷佐吉、宮崎復太郎 主な役職:太田学館益習館幹事 剣術:薬丸自顕流剣術 墓所:東京都港区青山霊園 |
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黒田 清隆 くろだ きよたか (1840-1900) 薩摩藩 |
旧幕臣を優遇した第2代内閣総理大臣 変名:黒田仲太郎、黒田了介 主な役職:北陸道鎮撫参謀、陸軍参謀、樺太開拓次官、参議、農商務大臣、内閣総理大臣 剣術:示現流剣術 墓所:東京都港区青山霊園 |
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さ行 |
西郷 吉二郎 さいごう きちじろう (1833-1868) 薩摩藩 |
北越戦争で戦死した大西郷の弟 変名:西郷金次郎、西郷隆広 主な役職:御勘定所書役、番兵2番隊監軍 剣術:薬丸自顕流剣術 墓所:上越市金谷山官修墓地 |
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西郷 小兵衛 さいごう こへい (1847-1877) 薩摩藩 |
西南戦争で戦死した大西郷の末弟 変名:西郷彦吉、西郷小平、西郷隆雄、西郷隆武 主な役職:加世田郷副戸長、第一大隊第一小隊長 剣術:薬丸自顕流剣術 墓所:鹿児島市上竜尾町南洲墓地 |
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西郷 隆盛 さいごう たかもり (1826-1877) 薩摩藩 | 維新三傑の一人にして薩摩の英雄 変名:西郷隆永、西郷武雄、西郷小吉、西郷吉之介、西郷善兵衛、西郷吉兵衛、西郷吉之助、西郷南洲、西郷三助、菊池源吾、大島三右衛門、大島吉之助 主な役職:参議、陸軍元帥、陸軍大将 剣術:- 墓所:鹿児島市上竜尾町南洲墓地 | ||
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西郷 従道 さいごう じゅうどう (1843-1902) 薩摩藩 |
海軍の発展に貢献した小西郷 変名:西郷竜助、西郷信吾、西郷慎吾 主な役職:文部卿、陸軍卿、農商務卿、海軍大臣、内務大臣、貴族院議員 剣術:薬丸自顕流剣術 墓所:東京都港区青山霊園 |
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篠原 国幹 しのはら くにもと (1837-1877) 薩摩藩 |
指揮能力を両軍から高く評価された寡黙な副司令 変名:篠原藤十郎、篠原冬一郎 主な役職:城下三番小隊隊長、鹿児島第二大隊隊長、近衛長官、一番大隊指揮長 剣術:薬丸自顕流剣術、常陸流剣術、神道無念流剣術 墓所:鹿児島市上竜尾町南洲墓地 |
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尚泰王 しょうたいおう (1843-1901) 琉球王国 |
日本と清の狭間にゆれた琉球王国最後の王 天保14年(道光23年)、第18代琉球国王尚育王の次男として生まれる。弘化5年(道光28年)、父王の死により幼少で即位する。嘉永6年(咸豊3年)、ペリー率いる米国艦隊が琉球に来航して通商を要求。翌年には琉米修好条約を締結した。さらに、仏国や蘭国とも修好条約を結んだ。明治5年(同治11年)、明治政府は尚泰王を琉球藩王に封じ華族に列する。しかし、未だ清国との冊封関係を続けていたために、明治政府は清国との絶交命令を再三要求。明治12年(光緒5年)、明治政府は軍隊を率いて首里城に入り、城の明け渡しと廃藩置県を布告する。この琉球処分により琉球藩は消滅。沖縄県が設置されると、尚泰ら琉球王家は東京に移住した。明治34年、死去。 変名:思次良金、朝憲 主な役職:19代琉球国王、琉球藩王 剣術:− 墓所:那覇市首里金城町玉陵 |
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調所 広郷 ずしょ ひろさと (1776-1849) 薩摩藩 |
密貿易で薩摩藩の財政を回復させた能臣 安永5年、薩摩藩士川崎主右衛門の子として生まれる。天明8年、薩摩藩士調所清悦の養子となる。茶道職として出仕。寛政10年に江戸へ出府し、隠居していた前藩主島津重豪にその才能を見出されて登用される。後に第10代藩主島津斉興に仕え、使番、町奉行、地頭などを歴任する。天保9年には家老に任ぜられ、改革に取り組む。また琉球を通じて清と密貿易を行い、藩財政を回復させた。その後、斉興の後継を巡る島津斉彬と島津久光による争いがお家騒動に発展すると、久光派に与する。嘉永元年、老中阿部正弘に密貿易の件を糾問される。同年12月、薩摩藩上屋敷芝藩邸にて急死する。死因は責任追及が斉興にまで及ぶのを防ごうとした服毒自殺と言われる。 変名:調所恒篤、調所広郷、川崎清八、調所友治、調所笑悦、調所笑左衛門 主な役職:薩摩藩家老 剣術:− 墓所:鹿児島市池之上町福昌寺 |
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た行 |
高崎 正風 たかさき まさかぜ (1836-1912) 薩摩藩 | 朝廷から長州を追い落とした二条派の歌人 変名:高崎左太郎、高崎伊勢、高崎豊麿、高崎左京、宝義堂 主な役職:御歌所初代所長、國學院院長、枢密顧問官 剣術:薬丸自顕流剣術 墓所:東京都港区青山霊園 | ||
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高崎 五六 たかさき いつむ (1836-1896) 薩摩藩 |
薩摩にあって武力倒幕に反対した官僚 変名:高崎猪太郎、高崎兵部、朝稲兵助、高崎友愛 主な役職:元老院議官、東京府知事 剣術:薬丸自顕流剣術 墓所:東京都港区青山霊園 |
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田中 新兵衛 たなか しんべえ (1832-1863) 薩摩藩 |
岡田以蔵と共に恐れられた暗殺者 変名:田中雄平 主な役職:− 剣術:薬丸自顕流剣術? 墓所:京都市東山区東福寺即宗院 |
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寺島 宗則 てらしま むねのり (1832-1893) 薩摩藩 |
近代外交の基盤を創った日本電気通信の父 変名:長野徳太郎、長野藤太郎、松木弘安、寺島陶蔵 主な役職:蕃書調所教授、神奈川県知事、外務大輔、外務卿、元老院議官、枢密顧問官 剣術:- 墓所:東京都品川区海晏寺 |
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な行 |
中村 半次郎 なかむら はんじろう (1838-1877) 薩摩藩 | 長州藩との和解を模索した西郷の懐刀 変名:中村利秋、桐野信作、桐野利秋 主な役職:大総督府軍監、陸軍少将 剣術:薬丸自顕流剣術、古示現流剣術 墓所:鹿児島市上竜尾町南洲墓地 | ||
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永山 弥一郎 ながやま やいちろう (1838-1877) 薩摩藩 |
壮絶な最後を遂げた西郷の影武者 変名:永山盛弘、永山万斎 主な役職:城下四番小隊監軍、三番大隊指揮長 剣術:薬丸自顕流剣術 墓所:鹿児島市上竜尾町南洲墓地 |
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奈良原 喜左衛門 ならはら きざえもん (1831-1865) 薩摩藩 | 生麦事件で英国人に切りつけた自顕流の達人 変名:− 主な役職:出水隊物主 剣術:薬丸自顕流剣術 墓所:京都市東山区東福寺即宗院 | ||
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は行 |
別府 晋介 べっぷ しんすけ (1847-1877) 薩摩藩 | 西郷を介錯した生粋の軍人 変名:別府景長 主な役職:鹿児島常備隊小隊長、加治木外四郷区長、六・七番大隊連合指揮長 剣術:薬丸自顕流剣術 墓所:鹿児島市上竜尾町南洲墓地 | ||
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逸見 十郎太 へんみ じゅうろうた (1849-1877) 薩摩藩 |
西南戦争でその名を馳せた雷撃隊大隊長 変名:逸見昌邦 主な役職:鹿児島常備隊小隊長、宮之城郷区長、雷撃隊大隊長 剣術:薬丸自顕流剣術 墓所:鹿児島市上竜尾町南洲墓地 |
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ま行 |
牧志 朝忠 まきし ちょうちゅう (1818-1862) 琉球王国 |
外国との交渉で薩摩藩に重宝された琉球官僚 変名:向永功、板良敷朝忠、大湾朝忠 主な役職:異国通詞、板良敷地頭、大湾地頭、牧志地頭、日帳主取 剣術:- 墓所:- |
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道島 五郎兵衛 みちしま ごろうひょうえ (生年不明-1862) 薩摩藩 |
有馬と共に串刺しにされた薩摩藩士 変名:− 主な役職:鎮撫使 剣術:薬丸自顕流剣術 墓所:京都市東山区東福寺 |
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村田 岩熊 むらた いわくま (1858-1877) 薩摩藩 | 民謡のモデルとも言われる村田新八の長男 変名:− 主な役職:− 剣術:− 墓所:鹿児島市上竜尾町南洲墓地 | ||
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村田 新八 むらた しんぱち (1836-1877) 薩摩藩 | 尊皇を志し西郷に殉じた薩摩の逸材 変名:村田経麿、村田経満 主な役職:鹿児島常備隊砲兵隊長、宮内大丞、二番大隊指揮長 剣術:薬丸自顕流剣術 墓所:鹿児島市上竜尾町南洲墓地 | ||
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村田 経芳 むらた つねよし (1838-1921) 薩摩藩 |
日本軍初の国産正式小銃の開発者 変名:村田仙次郎、村田勇右衛門 主な役職:外城一番隊長、東京砲兵工廠御用掛、貴族院議員 剣術:直心影流剣術、荻野流砲術 墓所:東京都台東区谷中霊園 |
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や行 |
由羅 ゆら |
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吉井 友実 よしい ともざね (1828-1891) 薩摩藩 | 精忠組の中心人物として藩政をリードした薩摩隼人 変名:吉井仁左衛門、吉井中介、吉井幸輔、山科兵部 主な役職:元老院議官、工部大輔、宮内大丞、宮内次官、日本鉄道社長 剣術:− 墓所:東京都港区青山霊園 | ||
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ら行 |
わ行 |
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