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【三百諸藩の幕末の動向】東北の諸藩/関東の諸藩/東海の諸藩/甲信越の諸藩/北陸の諸藩/近畿の諸藩/中国の諸藩/四国の諸藩/九州北部の諸藩/九州南部の諸藩 【その他リストなど】幕末明治の艦艇/御三卿・幕府直轄地拠点/幕末人物 墓所訪問 【晋作の愛した下関】豊北町・豊浦町/豊田町・菊川町/吉母・吉見・福江/向日・井田・田倉/吉田・清末/安岡・綾羅木・延行/長府/市街(下関~唐戸)/彦島 |
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その他の人物録 | ||||||
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その他の人物達 幕末期には武士や公家だけでなく、あらゆる階級の人々が明治維新という革命に関わった。志士として直接尊皇攘夷運動に関わった者もいれば、援助や庇護で間接的に関わった者もいた。それは時代の大きなうねりが、すべての日本人を飲み込んでいくようであった。 | |
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あ行 |
浅利 又七郎 あさり またひちろう (1822-1894) 剣客 | 山岡鉄舟が剣を合わせられなかった「入神の剣技」 変名:浅利義明 主な役職:浅利道場主宰、有栖川宮家撃剣御用係 剣術:中西派一刀流剣術、小野派一刀流剣術 墓所:- | ||
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池内 大学 いけうち だいがく (1814-1863) 儒学者 |
岡田以蔵に殺された攘夷派儒学者 変名:池内奉時、池内士辰、池内陶所 主な役職:知恩院門室近侍、久邇宮家侍読 剣術:- 墓所:大坂市上本町大福寺 |
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伊藤 助太夫 いとう すけだゆう (1830-1872) 商人 |
龍馬が拠点とした本陣伊藤家の当主 変名:伊藤九三、自然居士、静斎、伊藤盛正 主な役職:本陣伊藤家当主 剣術:- 墓所:下関市中之町引接寺 下関市本町空月庵 |
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入江 和作 いりえ わさく (1833-1905) 商人 | 晋作を支援した下関の豪商 嘉永5年、酢の醸造業を営む奈良屋を継ぐ。尊皇の志士たちを支援した。特に高杉晋作を献身的に支援し、晋作は入江の茶屋を寓居としていた。うの(此の糸)の身請け金を用意したともいわれ、晋作が四国に亡命する際の旅費なども援助した。元治元年、晋作が功山寺にて挙兵した際には、軍資金を提供。軍事クーデター成功に貢献した。奈良屋には坂本龍馬や、勤王歌人野村東望尼も滞在した。明治38年、73歳で死去。 変名:蔵田和作 主な役職:奈良屋店主 剣術:- 墓所:下関市中之町引接寺 | ||
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上野 彦馬 うえの ひこま (1838-1904) 写真家 | 幕末維新の志士の肖像を撮影した写真家 変名:上野季渓 主な役職:上野写真局店主 剣術:- 墓所:長崎市伊良林風頭公園 | ||
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歌川 国芳 うたがわ くによし (1798-1861) 絵師 |
斬新で奇想天外な画風が魅力の浮世絵師 変名:井草芳三郎、井草孫三郎、一勇斎、朝桜楼、採芳舎 主な役職:- 剣術:- 墓所:小平市上水南町大仙寺 |
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歌川 貞秀 うたがわ さだひで (1807-?) 絵師 |
精密な描写が評価される横浜浮世絵の第一人者 変名:橋本兼次郎、五雲亭貞秀、玉蘭斎、玉蘭主人、一玉斎、玉翁 主な役職:- 剣術:- 墓所:不明 |
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歌川 豊国(三代目) うたがわ とよくに (1786-1865) 絵師 |
江戸の粋な美人図を描いた浮世絵師 変名:歌川国貞、角田庄五郎、角田庄蔵、角田肖造、五渡亭、香蝶楼、一雄斎、琴雷舎、北梅戸、 富望山人、富望庵、桃樹園、月波楼、喜翁、浮世又平、不器用又平、亀戸豊国 主な役職:- 剣術:- 墓所:東京都江東区光明寺 |
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歌川 広重 うたがわ ひろしげ (1797-1858) 絵師 |
ゴッホやモネなどにも影響を与えた浮世絵師 変名:安藤徳太郎、安藤鉄蔵、安藤重右衛門、安藤徳兵衛、一幽斎、一立斎、一遊斎 主な役職:八代洲河岸定火消同心 剣術:- 墓所:東京都足立区東岳寺 |
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か行 |
狩野 一信 かのう かずのぶ (1816-1863) 絵師 |
増上寺の五百羅漢図を描いた幕末の鬼才 変名:辺見豊次郎、逸見一信、顕幽斎一信、 主な役職:- 剣術:- 墓所:東京都港区安蓮社 |
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菊屋 峯吉 きくや みねきち (1817-1868) 志士 | 龍馬暗殺の第一発見者 変名:鹿野安兵衛 主な役職:会計軍夫 剣術:- 墓所:京都市左京区知恩寺 | ||
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日柳 燕石 くさなぎ えんせき (1817-1868) 侠客 | 国事のために私財を投げ出して尽力した侠客 変名:加島屋長次郎、加島屋耕吉、日柳政章、日柳士煥、日柳柳東、日柳双龍閣。 主な役職:征討軍日誌方 剣術:- 墓所:柏崎市柏崎招魂所、琴平町榎井日柳一族墓地 | ||
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黒駒 勝蔵 くろごまの かつぞう (1832-1871) 侠客 | 政府に利用された甲州の博徒 変名:小池勝蔵、池田勝馬 主な役職:黒駒一家組長 剣術:- 墓所:笛吹市御坂町金剛山浄龍寺 | ||
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月性 げっしょう (1817-1858) 僧侶 | 攘夷を叫んだ周防の海防僧 変名:実相、知円、清狂、烟渓、梧堂 主な役職:妙円寺住職 剣術:- 墓所:柳井市遠崎妙円寺 | ||
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月照 げっしょう (1813-1858) 僧侶 | 西郷と心中した尊皇攘夷派僧侶 変名:宗久、忍介、忍鎧、久丸 主な役職:清水寺成就院住職 剣術:- 墓所:京都市東山区清水寺、鹿児島市南林寺町南洲寺 | ||
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さ行 |
斎藤 弥九郎 さいとう やくろう (1798-1871) 剣客 |
長州や水戸の尊皇派志士が学んだ江戸三大道場の創始者 変名:斎藤善道、斎藤篤信斎、齋藤彌九郎、齋藤篤信齋 主な役職:練兵館主宰 剣術:神道無念流剣術 墓所:東京都渋谷区福泉寺 |
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相模屋 政五郎 さがみや まさごろう (1807-1886) 侠客 |
江戸の治安を守った口入屋の大親分 変名:大和屋政五郎、山中政次郎 主な役職:土佐藩江戸屋敷火消頭、相模屋親分 剣術:- 墓所:不明 |
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相楽 総三 さがら そうぞう (1839-1868) 志士 | 無実の罪を着せられた赤報隊隊長 変名:小島四郎左衛門将満、村上四郎、内田四郎、二荒次郎 主な役職:赤報隊隊長 剣術:- 墓所:東京都港区青山霊園 | ||
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島田 虎之助 しまだ とらのすけ (1814-1852) 剣客 |
若くして病死した幕末の三剣士の一人 文化11年、中津藩士島田市郎右衛門の子として生まれる。藩の剣術師範堀十郎左衛門の道場に外也一刀流を学ぶ。16歳頃、九州一円を武者修行して名声をあげる。天保9年に江戸に出て、直心影流剣術の男谷信友の内弟子になる。剣技の上達はめざましく、一年あまりで師範免許を受け、男谷道場の師範代を勤める。その傍ら、鈴木清兵衛の道場にも通って起倒流柔術も習う。鈴木道場で勝海舟と相弟子となったことが縁となり、後に虎之助が道場を開くと、勝は虎之助に弟子入りする。天保14年、東北の武者修行の後、浅草新堀に道場を開く。道場では兄の島田小太郎が師範代となり、同時に男谷の教えを受けた。このころ、松平忠敬の出入り師範として20人扶持の俸禄を得ている。嘉永5年、39歳の若さで病没。浅草正定寺に葬られた。 変名:島田直親、島田?山 主な役職:- 剣術:外也一刀流剣術、直心影流剣術、起倒流柔術 墓所:東京都台東区正定寺 |
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清水 次郎長 しみずの じろちょう (1820-1993) 侠客 | 義理と人情の街道一の大親分 文政3年、船頭高木三右衛門の次男として生まれる。母方の叔父、米穀商甲田屋の主山本次郎八の養子となった。天保14年、喧嘩の果てに人を斬り甲田屋を出奔。諸国を旅して修行を積み交際を広げ成長した次郎長は清水湊に一家を構える。その後、富士川舟運の権益を巡り甲州博徒と対立し、黒駒勝蔵と抗争を繰り広げる。慶応4年、東征大総督府から駿府町差配役に任命された伏谷如水より街道警固役を任命される。同年、旧幕府海軍副総裁榎本武揚の艦隊の咸臨丸が暴風雨により房州沖で破船し、修理のため清水湊に停泊したところを新政府海軍に発見され、見張りのため船に残っていた船員全員が交戦により死亡した。その後、駿河湾に放置されていた遺体を小船を出して収容し、向島の砂浜に埋葬した。新政府軍より収容作業を咎められたが、死者に官軍も賊軍もないとして突っぱねたという。当時、静岡藩大参事の任にあった旧幕臣の山岡鉄舟は これを深く感謝し、これが機縁となり次郎長は明治において山岡・榎本と交際を持ったとされる。明治17年には「賭博犯処分規則」により逮捕され、懲罰7年過料金400円に処せられ、井宮監獄に服役する。関口隆吉やなどの尽力などにより、刑期の満了を待たずに仮釈放になった。明治26年、風邪により死去。 変名:山本長五郎 主な役職:清水一家組長 剣術:- 墓所:静岡市清水区梅蔭禅寺 | ||
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白石 正一郎 しらいし しょういちろう (1812-1980) 商人 | 晋作に惚れ抜いた下関の豪商 変名:白石資風、白石駒吉、白石熊之助、白石橘円 主な役職:小倉屋店主、奇兵隊会計方 剣術:- 墓所:下関市赤間神宮、下関市吉田東行庵、下関市桜山神社 | ||
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白真弓 肥太右衛門 しらまゆみ ひだえもん (1829-1868) 力士 |
白川郷の怪力力士 変名:東屋勇吉、浦風林右衛門 主な役職:関脇 剣術:- 墓所:高山市総和町飛騨国分寺 |
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新門 辰五郎 しんもん たつごろう (1800-1975) 町火消・侠客 |
徳川慶喜を助けた「を組」の頭 変名:町田辰五郎 主な役職:浅草寺僧坊伝法院新門門番、浅草十番組を組頭領 剣術:- 墓所:東京都豊島区盛雲寺、東京都荒川区円通寺 |
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た行 |
千葉 周作 ちば しゅうさく (1793-1856) 剣客 |
多くの剣客を輩出した北辰一刀流玄武館の創始者 変名:千葉成政 主な役職:玄武館主宰、水戸藩剣術師範 剣術:北辰一刀流剣術 墓所:東京都豊島区本妙寺 |
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手塚 良仙 てづか りょうぜん (1826-1877) 医師 |
蘭方医として幕末を生きた手塚治虫の曾祖父 変名:手塚良庵、手塚光享 主な役職:幕府歩兵屯所付医師、大日本帝国陸軍軍医 剣術:- 墓所:東京都豊島区本妙寺 |
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な行 |
二宮 尊徳 にのみや そんとく (1787-1856) 農政家 |
600余の村を救った報徳主義の創唱者 変名:二宮金次郎 主な役職:小田原報徳社主宰 剣術:- 墓所:日光市今市報徳二宮神社、相馬市西山愛宕山 |
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は行 |
古高 俊太郎 ふるたか しゅんたろう (1829-1864) 商人 | 新選組に拷問を受け池田屋事件の発端を招いたとされる豪商 変名:枡屋喜右衛門、湯浅喜右衛門、古高正順 主な役職:升屋店主 剣術:- 墓所:京都霊山護国神社 | ||
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浜崎 太平次 はまさき たへいじ (1814-1863) 商人 |
密貿易で莫大な富を築いた指宿の豪商 変名:- 主な役職:山木屋店主 剣術:- 墓所:指宿市十町湊児童公園 |
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仏生寺 弥助 ぶっしょうじ やすけ (1830-1863) 剣豪 |
練兵館の閻魔鬼神と恐れられた天才 変名:仏生寺虎正、吉村豊次郎 主な役職:- 剣術:神道無念流剣術 墓所:京都市左京区心光寺(埋葬地) |
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文吉 ぶんきち (?-1862) 岡っ引き |
岡田以蔵らに殺された岡っ引き 変名:- 主な役職:岡っ引 剣術:- 墓所:- |
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本間 精一郎 ほんま せいいちろう (1834-1862) 志士 |
自らの行動が仇となって梟首された志士 変名:本間正高、本間至誠、不自欺斎 主な役職:- 剣術:- 墓所:不明 |
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ま行 |
真木 和泉 まき いずみ (1813-1864) 神官 | 天王山に散った久留米の神官 変名:真木保臣、真木和泉守、紫灘 主な役職:久留米水天宮祠官 剣術:- 墓所:京都府乙訓郡大山崎町天王山 | ||
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源 清麿 みなもと きよまろ (1813-1855) 刀匠 |
波乱に富んだ人生を送った「四谷正宗」 変名:山浦正行、山浦秀寿、山浦環 主な役職:- 剣術:窪田派田宮流剣術 墓所:東京都新宿区宗福寺 |
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三野村 利左衛門 みのむら りざえもん (1821-1877) 商人 |
三井財閥の基礎を作った大番頭 変名:美野川利八 主な役職:通勤支配、三井御用所長、三井銀行総長代理副長 剣術:- 墓所:不明 |
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桃井 春蔵 ももい しゅんぞう (1825-1885) 剣客 |
品格随一といわれた鏡新明智流士学館の4代目 変名:田中甚助、田中左右八郎、桃井直正 主な役職:志学館主宰、遊撃隊頭取並、浪花隊軍監兼撃剣師範、応神天皇陵陵掌 剣術:- 墓所:羽曳野市白鳥誉田西墓地 |
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や行 |
安井 息軒 やすい そっけん (1799-1876) 儒学者 |
二千名を上る逸材を輩出した三計塾主宰 変名:安井順作、安井衡、安井仲平 主な役職:- 剣術:- 墓所:東京都文京区養源寺 |
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山田 朝右衛門吉利 やまだ あさえもんよしとし (1813-1884) 御様御用人 |
松蔭らを斬った7代目首斬り朝右衛門 変名:後藤五三郎、和水 主な役職:公儀御様御用、御三家御様御用、公儀腰物拝見役、市政裁判所附 剣術:山田流剣術(試刀術) 墓所:東京都新宿区勝興寺、東京都港区正源寺 |
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山本 政五郎(大政) やまもと まさごろう(おおまさ) (1832-1881) 侠客 |
次郎長の一の子分とされた巨漢の侠客 変名:原田熊蔵 主な役職:- 剣術:- 墓所:静岡県有渡郡下清水村岡町 梅蔭禅寺 |
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山本 政五郎(小政) やまもと まさごろう(こまさ) (1842-1874) 侠客 |
次郎長の子分として大政と並び証された小柄の侠客 変名:吉川冬吉、山本音五郎 主な役職:- 剣術:- 墓所:静岡県有渡郡下清水村岡町 梅蔭禅寺 |
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ら行 |
頼 三樹三郎 らい みきざぶろう (1825-1859) 儒学者 | 安政の大獄で斬首された儒学者 変名:頼醇、頼三木八 主な役職:- 剣術:- 墓所:京都市東山区長楽寺、東京都世田谷区松陰神社 | ||
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冷泉 為恭 れいせん ためちか (1823-1864) 絵師 |
勤王派に惨殺された大和絵の大家 変名:狩野晋三、冷泉永恭、岡田為恭、心蓮 主な役職:蔵人所衆、直廬預 剣術:- 墓所:天理市勾田町善福寺 |
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わ行 |
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