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【三百諸藩の幕末の動向】東北の諸藩/関東の諸藩/東海の諸藩/甲信越の諸藩/北陸の諸藩/近畿の諸藩/中国の諸藩/四国の諸藩/九州北部の諸藩/九州南部の諸藩 【その他リストなど】幕末明治の艦艇/御三卿・幕府直轄地拠点/幕末人物 墓所訪問 【晋作の愛した下関】豊北町・豊浦町/豊田町・菊川町/吉母・吉見・福江/向日・井田・田倉/吉田・清末/安岡・綾羅木・延行/長府/市街(下関〜唐戸)/彦島 |
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幕臣・幕政参加者人物録 | ||||||
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幕臣・幕政参加者 三百年余続いた徳川幕府は、ベリーの来航により少しづつ崩壊に向かう。しかし、その時代の流れに抗い、徳川の治世を守ろうとする者達もいた。ある者は忠誠心から、ある者は信念から、またある者は功名心から幕府とその威光に反する者と戦った。 ※ここでは、幕臣、幕政参加者を紹介します。 | |
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あ行 |
阿部 正弘 あべ まさひろ (1819-1857) 福山藩 |
安政の改革に取り組んだ幕末の老中首座 変名:阿部四郎五郎、阿部主計頭、阿部正一、阿部叔道、阿部剛蔵、阿部祐軒、阿部学聚軒 主な役職:第7代福山藩主、寺社奉行、老中首座 剣術:- 墓所:東京都台東区谷中霊園 |
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荒井 郁之助 あらい いくのすけ (1836-1909) 徳川幕府 |
中央気象台長となった蝦夷共和国海軍奉行 変名:荒井幾之助、荒井顕徳、荒井顕理 主な役職:軍艦操練所頭取、初代中央気象台長 剣術:直心影流剣術、心形刀流剣術 墓所:東京都渋谷区祥雲寺 |
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井伊 直弼 いい なおすけ (1815-1860) 彦根藩 | 大老として強権を振るった井伊の赤鬼 変名:井伊鉄之介、井伊鉄三郎、井伊直輔、井伊埋木舎、井伊緑舎、井伊宗観、井伊无根水 主な役職:第15代彦根藩主、大老 剣術:- 墓所:東京都世田谷区豪徳寺 | ||
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板倉 勝静 いたくら かつきよ (1823-1889) 松山藩 |
旧幕軍と共に新政府軍と戦った老中首座 変名:松平寧八郎、松平万之進、板倉松叟 主な役職:第7代松山藩主、老中首座、会計総裁、上野東照宮祀官 剣術:- 墓所:東京都文京区吉祥寺 |
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稲葉 正邦 いなば まさくに (1834-1898) 淀藩 |
幕府に忠誠を尽くすが、自藩の勝手な恭順に泣いた老中 変名:稲葉長之助、稲葉東閣 主な役職:第12代淀藩主、老中、京都所司代、政事総裁、神道本局管長 剣術:- 墓所:東京都港区青山霊園 |
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伊庭 八郎 いば はちろう (1844-1869) 徳川幕府 | 戊辰戦争を駆け抜けた隻腕の剣士 変名:伊庭秀穎 主な役職:歩兵頭並、遊撃隊隊長 剣術:心形刀流剣術 墓所:東京都中野区貞源寺 | ||
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今井 信郎 いまい のぶお (1841-1918) 幕臣 | 龍馬を斬ったとされる京都見廻組の剣客 変名:京都見廻組与力頭 主な役職:京都見廻組与力頭、衝鋒隊頭並、初倉村村長 剣術:直新陰流剣術 墓所:島田市種月院 | ||
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榎本 武揚 えのもと たけあき (1836-1908) 徳川幕府 | 旧幕臣を率いて新政府軍と戦った蝦夷共和国総裁 変名:榎本釜次郎 主な役職:海軍副総裁、蝦夷共和国総裁、逓信大臣、農商務大臣、外務大臣、海軍卿 剣術:- 墓所:東京都文京区吉祥寺 | ||
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大久保 一翁 おおくぼ いちおう (1817-1888) 徳川幕府 |
海舟や龍馬に慕われた幕府閣僚 変名:大久保金之助、大久保市三郎、大久保三四郎、大久保忠正、大久保忠寛 主な役職:海防掛、京都町奉行、外国奉行、会計総裁、若年寄、東京府知事、元老院議官 剣術:心形刀流剣術 墓所:東京都府中市多磨霊園 |
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大鳥 圭介 おおとり けいすけ (1833-1911) 徳川幕府 |
伝習隊を率いて戦った蝦夷共和国陸軍奉行 変名:小林慶太郎、小林圭介 主な役職:富士見御宝蔵番格、歩兵頭、歩兵奉行、蝦夷共和国陸軍奉行、駐清国特命全権公使 剣術:- 墓所:東京都府中市多磨霊園 |
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小笠原 長行 おがさわら ながゆき (1822-1891) 唐津藩 |
世嗣のまま老中に登りつめた唐津の貴公子 変名:小笠原行若、小笠原敬七郎、小笠原明山 主な役職:若年寄、老中、小倉口総督、外国事務総裁 剣術:- 墓所:東京都世田谷区幸龍寺 |
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小栗 上野介 おぐり こうずけのすけ (1827-1868) 徳川幕府 | 近代化の基礎を作り幕府の財政を一手に扱った勘定奉行 変名:小栗剛太郎、小栗又一、小栗忠順 主な役職:勘定奉行、江戸町奉行、外国奉行 剣術:直心影流剣術 墓所:高崎市倉渕町東善寺 | ||
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男谷 精一郎 おたに せいいちろう (1798-1864) 徳川幕府 |
人格者としても優れた幕末の剣聖 変名:男谷信友、男谷静斎、男谷蘭斎、男谷新太郎 主な役職:講武所頭取並 剣術:直心影流剣術、宝蔵院流槍術、吉田流射術 墓所:東京都江東区増林寺 |
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か行 |
勝 海舟 かつ かいしゅう (1823-1899) 徳川幕府 | 無血開城により江戸を戦火から救った幕末の三舟 文政6年、旗本小普請組の勝小吉の長男として江戸に生まれる。16歳で家督を継ぎ、永井青崖に蘭学を学び、赤坂田町に私塾「氷解塾」を開く。安政の改革で才能を見出され、長崎海軍伝習所に入所。万延元年には咸臨丸で渡米する。帰国後は軍艦操練所頭取を経て軍艦奉行に就任。神戸に海軍操練所を開いて幕臣や坂本竜馬を教育した。戊辰戦争時には、幕府軍の軍事総裁となり、徹底抗戦を主張する小栗忠順に対し、早期停戦と江戸城無血開城を主張しこれを実現する。維新後は、旧幕臣の代表格として外務大丞、兵部大丞、参議兼海軍卿、元老院議官、枢密顧問官を歴任、伯爵を叙された明治32年、風呂上がりにブランデーを飲んですぐに脳溢血により意識不明となり死去。最期の言葉は「コレデオシマイ」であった。 変名:勝麟太郎、勝義邦、勝安房、勝安芳 主な役職:軍艦奉行並、軍事総裁、参議、海軍卿、枢密顧問官 剣術:直心影流剣術 墓所:東京都大田区洗足池 | ||
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窪田 清音 くぼた すがね (1791-1867) 徳川幕府 |
数々の武術と兵法を習得した講武所頭取 寛政3年、旗本窪田勝英の長男として生まれる。父勝英に中島流砲術、外祖父黒野義方から山鹿流兵法と吉富流居合の指導を受ける。その後、都築勘助から甲州流軍学、松本三甫から越後流軍学、斉藤三太夫から長沼流軍学を学び、諸流兵法を学んだ。武術では、鈴木大作から宝蔵院流槍術、和田孫次郎から無辺夢極流槍術、平野匠八から田宮流剣術・関口流柔術、小笠原館次郎から小笠原流弓術、土井主税から日置流弓術、浅井金兵衛から大坪流上田派馬術、井上左太夫から外記流砲術などを学ぶ。天保13年、御納戸頭の職に任じられていたときに天保の改革原案作成をめぐり羽倉簡堂と論争を起こし、御役御免となる。門人育成と古伝の著述に力を注ぎ、兵法、武家故実の研究家、武術家として大きな業績を挙げた。安政2年、講武所を新設すると、古伝研究の第一人者として頭取に就任する。兵学門人は以下3000人、武術門人は600人あまり。幕末・明治に活躍した多くの人物に影響を与えている。江戸期の天才刀工源清麿の師匠としても知られる。慶応2年、死去。 変名:窪田助太郎、窪田源太夫。窪田勝栄、修業堂 主な役職:講武所頭取、講武所兵学師範役 剣術:窪田派田宮流剣術、宝蔵院流槍術、無辺夢極流槍術、関口流柔術他 墓所:東京都港区玉窓寺 |
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甲賀 源吾 こうが げんご (1839-1869) 徳川幕府 |
宮古湾海戦に散った回天丸艦長 変名:甲賀秀虎 主な役職:軍軍艦操練所軍艦役、軍艦頭並、朝陽丸艦長、回天丸艦長 剣術:− 墓所:函館市函館山碧血碑、東京都豊島区大観音光源寺 |
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さ行 |
酒井 忠績 さかい ただしげ (1827-1895) 姫路藩 | 末期の幕府を牽引した最後の大老 変名:酒井仁之助、酒井勘解由、閑亭、閑斎 主な役職:第8代姫路藩主、京都所司代、老中首座、江戸留守居役、大老 剣術:- 墓所:東京都豊島区染井霊園 | ||
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佐々木 只三郎 ささき たださぶろう (1833-1868) 徳川幕府 |
坂本龍馬や清河八郎を暗殺したとされる京都見廻組の剣客 変名:佐々木泰昌、佐々木唯三郎 主な役職:京都見廻組与頭 剣術:神道精武流剣術、風心流剣術、夢想心流剣術 墓所:会津若松市東山町会津武家屋敷 |
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澤 太郎左衛門 さわ たろうざえもん (1834-1898) 徳川幕府 | 榎本武揚と共に新政府軍と戦った蝦夷共和国開拓奉行 天保5年、幕臣澤太八郎の子として生まれる。安政3年、箱館奉行書物御用掛として初出仕。安政4年、長崎海軍伝習所第2期に選抜。榎本武揚と知り合う。万延元年、築地軍艦操練所教授方手伝出役に任官。文久2年、幕府が募ったオランダ留学生に選ばれ、長崎を出航。欧米を巡察し大砲や火薬について学ぶ。慶応2年、開陽丸に乗りオランダを出発。翌年帰国し、軍艦役並勤方に任命され、開陽丸の軍艦頭並となる。慶応4年、大阪城を脱出した将軍徳川慶喜、老中板倉勝静、会津藩主松平容保らを大阪から江戸に運ぶ。その後、榎本が率いる旧幕府艦隊に参加。品川沖から脱走する。この際に開陽丸軍艦頭(艦長に相当)に任命される。明治元年、箱館政権下で選挙の結果、開拓奉行に選任される。箱館戦争を経て、五稜郭の降伏の報を受け、室蘭にて降伏。東京辰ノ口軍務糺問所に入牢する。明治5年に特旨を以て放免。開拓使御用掛を経て海軍兵学寮に勤務。教育者として多くの将校を育て海軍創設に貢献した。明治31年、肺炎にて逝去。 変名:澤^太郎、澤貞説 主な役職:開陽丸軍艦頭、開拓奉行、兵学権頭兼兵学大教授、兵学校教務副総理 剣術:神道無念流剣術 墓所:東京都港区青山霊園 | ||
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渋沢 栄一 しぶさわ えいいち (1840-1931) 徳川幕府 |
多種多様な企業の設立に関わった日本資本主義の父 天保11年、武蔵国の豪農渋沢市郎右衛門の長男として生まれる。幼少より父から読書を授けられ、四書五経や日本外史を学び、剣術は神道無念流を学んだ。文久元年、江戸に出て儒学者海保漁村の門下生となる。また北辰一刀流の千葉栄次郎道場に入門し、剣術修行の傍ら勤皇志士と交友を結ぶ。文久3年に京都に上るが、八月十八日の政変直後で、尊皇攘夷活動に行き詰まり、平岡円四郎の推挙で一橋慶喜に仕える。慶喜が将軍となったのに伴い幕臣となり、パリで行われる万国博覧会に将軍の名代として出席した徳川昭武の随員として渡航。パリ万博を視察したほか、欧米諸国を訪問する。慶応4年、新政府から帰国を命じられる。明治2年、静岡にて商法会所を設立するが、大隈重信に見出され大蔵省に入省。大蔵官僚として民部省改正掛を率いて改革案の企画立案、度量衡の制定や国立銀行条例制定に携わる。しかし、予算編成を巡って、大久保利通や大隈重信と対立し、明治6年に井上馨と共に退官する。退官間もなく、第一国立銀行の頭取に就任。また、七十七国立銀行など多くの地方銀行設立を指導した。その後、多種多様の企業の設立に関わり、その数は500以上といわれている。昭和6年、死去。 変名:渋沢栄二郎、渋沢栄一郎、渋沢篤太夫、渋沢篤太郎 主な役職:御勘定格陸軍付調役、大蔵官僚、第一国立銀行頭取、YMCA環太平洋連絡会議議長 剣術:神道無念流剣術、北辰一刀流剣術 墓所:東京都台東区谷中霊園 |
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新見 正興 しんみ まさおき (1822-1869) 徳川幕府 | 村垣や小栗らと共に渡米し見識を深めた外国奉行 変名:新見閑水 主な役職:外国奉行、神奈川奉行、御側衆 剣術:− 墓所:東京都中野区願正寺 | ||
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た行 |
高橋 泥舟 たかはし でいしゅう (1835-1903) 徳川幕府 | 慶喜に慕われた誠実剛毅な三舟の一人 変名:山岡謙三郎、高橋精一郎、高橋精一、高橋政晃、高橋忍歳 主な役職:新徴組取締責任者、遊撃隊頭取、槍術教授頭取 剣術:自得院流槍術 墓所:東京都台東区大雄寺 | ||
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高松 凌雲 たかまつ りょううん (1837-1916) 徳川幕府 |
敵味方問わず治療する赤十字活動の先駆者 変名:高松権平、高松荘三郎 主な役職:奥詰医師、箱館病院院長 剣術: 墓所:東京都台東区谷中墓地 |
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竹中 重固 たけなか しげかた (1828-1891) 徳川幕府 |
幕軍として戦った竹中半兵衛の子孫 変名:竹中春山 主な役職:陸軍奉行、純忠隊隊長、海陸裁判所頭取 剣術: 墓所:東京都品川区泉岳寺 |
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な行 |
中島 英次郎 なかじま えいじろう (1850-1869) 徳川幕府 | 千代ヶ岡で戦死した中島三郎助の次男 嘉永3年、中島三郎助の次男として生まれる。戊辰戦争が勃発すると、父や兄の恒太郎と行動を共にしてに江戸品川沖を脱出、蝦夷地へ渡海し箱館戦争に至った。函館戦争では父、兄と千代ヶ岡陣屋を守備し奮戦。戦況は悪化し、新政府軍より降伏勧告が出されたが、父三郎助はこれを拒否。また、五稜郭からの撤退命令も拒否して、徹底抗戦した。英次郎は父、兄とともに戦死する。 変名:− 主な役職:− 剣術:- 墓所:横須賀市東浦賀町東林寺 | ||
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中島 恒太郎 なかじま こうたろう (1847-1869) 徳川幕府 | 千代ヶ岡で戦死した中島三郎助の長男 弘化4年、中島三郎助の長男として生まれる。慶応2年、父より与力職を譲られる。戊辰戦争が勃発すると、父や弟の英次郎と行動を共にしてに江戸品川沖を脱出、蝦夷地へ渡海し箱館戦争に至った。函館戦争では父、弟と千代ヶ岡陣屋を守備し奮戦。戦況は悪化し、新政府軍より降伏勧告が出されたが、父三郎助はこれを拒否。また、五稜郭からの撤退命令も拒否して、徹底抗戦した。恒太郎は父、弟とともに戦死する。 変名:− 主な役職:与力 剣術:- 墓所:横須賀市東浦賀町東林寺 | ||
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中島 三郎助 なかじま さぶろうすけ (1821-1869) 徳川幕府 | 戊辰戦争を駆け抜けた旧幕軍の猛将 変名:中島永胤、中島木鶏 主な役職:軍艦操練所教授方頭取手伝出役、両番上席軍艦役、箱館奉行並、砲兵頭並 剣術:- 墓所:横須賀市東浦賀町東林寺 | ||
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中根 長十郎 なかね ちょうじゅうろう (1794-1863) 徳川幕府 |
慶喜の公武合体転向の黒幕として暗殺された一橋家側用人 変名:中根正剛 主な役職:一橋家側用人 剣術:- 墓所:東京都文京区養源寺 |
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は行 |
原 市之進 はら いちのしん (1830-1867) 徳川幕府 |
慶喜が全幅の信頼を寄せた元水戸藩士 変名:原熊、原忠敬、原忠成、原任蔵、原尚不愧斎、仲寧、伍軒 主な役職:水戸藩奥右筆頭取、一橋家側用人、奥番格奥詰 剣術:- 墓所:京都市東山区長楽寺 |
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平岡 円四郎 ひらおか えんしろう (1822-1864) 徳川幕府 |
慶喜の公武合体転向の黒幕として暗殺された一橋家家老並 変名:岡本円四郎、平岡近江守、平岡方中、平岡円外 主な役職:勘定奉行所留役当分助、一橋家側用人、一橋家家老 剣術:- 墓所:- |
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古屋 佐久左衛門 ふるや さくざえもん (1833-1869) 徳川幕府 |
戊辰戦争を戦い抜いた幕軍の英才 変名:高松勝太郎 主な役職:歩兵差図役頭取、衝鋒隊隊長、蝦夷共和国歩兵頭 剣術:神道無念流剣術 墓所:東京都台東区谷中霊園 |
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堀田 正睦 ほった まさよし (1810-1864) 佐倉藩 |
阿部正弘の幕政を矢面に立ってサポートした老中首座 変名:堀田左源治、堀田左源次、堀田正篤、見山 主な役職:第5代佐倉藩主、大坂城代、老中首座、 剣術:- 墓所:佐倉市新町甚大寺 |
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ま行 |
松岡 磐吉 まつおか ばんきち (生年不明-1871) 徳川幕府 |
箱館戦争で活躍した蟠竜丸艦長 変名:- 主な役職:蟠竜丸艦長 剣術:- 墓所:- |
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松平 容保 まつだいら かたもり |
会津藩人物録へ | ||
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松平 定敬 まつだいら さだあき (1859-1868) 桑名藩 |
兄と共に新政府と戦った桑名藩主 変名:松平_之助 主な役職:第4代桑名藩主、京都所司代、日光東照宮宮司 剣術:- 墓所:東京都豊島区染井霊園 |
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松平 忠固 まつだいら ただかた (1812-1859) 上田藩 |
開国派として幕政をリードした次席老中 変名:松平玉助、松平忠優、慎斎 主な役職:第6代上田藩主、大坂城代、老中 剣術:- 墓所:府中市多磨町多磨霊園、上田市中央願行寺 |
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松平 忠敏 まつだいら ただとし (1804-1884) 徳川幕府 | 後に剣豪として語られる浪士組の取締役 変名:松平主税助、松平主税之助、松平主税之介、松平上総介 主な役職:講武所剣術師範役並、浪士組取締役、新微組支配、清水小普請支配、歌道御用掛 剣術:柳剛流剣術 墓所:東京都江東区正覚院 | ||
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松平 太郎 まつだいら たろう (1839-1909) 徳川幕府 |
榎本の女房役として活躍した蝦夷共和国副総裁 変名:- 主な役職:陸軍奉行並、蝦夷共和国副総裁 剣術:- 墓所:東京都文京区大林寺 |
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松本 良順 まつもと りょうじゅん (1832-1907) 徳川幕府 |
西洋医学に傾向した将軍の主治医 変名:佐藤順之助、松本順、蘭疇、楽痴 主な役職:西洋医学所頭取、将軍侍医、大日本帝国陸軍軍医総監、貴族院勅撰議員 剣術:- 墓所:神奈川県中郡大磯町妙大寺 |
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間部 詮勝 まなべ あきかつ (1804-1884) 鯖江藩 |
井伊の側近として奔走した老中 変名:間部鉞之進、間部詮良、間部松堂、間部慈郷 主な役職:第7代鯖江藩主、幕府老中、勝手御入用掛、外国御用取扱 剣術:- 墓所:市川市正中山法華経寺 |
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村垣 範正 むらがき のりまさ (1813-1880) 徳川幕府 | 遣米使節団の副使として渡米した能臣 変名:村垣与三郎、村垣範忠、村垣淡叟 主な役職:箱館奉行、外国奉行、神奈川奉行、作事奉行 剣術:− 墓所:東京都台東区谷中霊園 | ||
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や行 |
山岡 鉄舟 やまおか てっしゅう (1836-1888) 徳川幕府 | 江戸城無血開城の活躍した三舟の一人 変名:山岡鉄太郎、一楽斎、山岡高歩 主な役職:浪士組取締役、精鋭隊歩兵頭格、静岡藩権大参事、茨城県参事、伊万里県権令、 侍従、宮内大丞、宮内少輔 剣術:神陰流剣術、樫原流槍術、北辰一刀流剣術、忍心流槍術、 中西派一刀流剣術、一刀正伝無刀流剣術 墓所:東京都台東区全生庵 | ||
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ら行 |
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