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【三百諸藩の幕末の動向】東北の諸藩/関東の諸藩/東海の諸藩/甲信越の諸藩/北陸の諸藩/近畿の諸藩/中国の諸藩/四国の諸藩/九州北部の諸藩/九州南部の諸藩 【その他リストなど】幕末明治の艦艇/御三卿・幕府直轄地拠点/幕末人物 墓所訪問 【晋作の愛した下関】豊北町・豊浦町/豊田町・菊川町/吉母・吉見・福江/向日・井田・田倉/吉田・清末/安岡・綾羅木・延行/長府/市街(下関〜唐戸)/彦島 |
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徳山藩人物録 | ||||||
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長府藩は、周防国都濃郡周辺を領有し、毛利輝元の次男毛利就隆を藩祖とする。第3代藩主毛利元次の時代に宗家と領地争いをおこして改易されるが、次代で再興する。以後は宗家との関係も良好で、宗家の斡旋で城持格にもなっている。長州藩第14代藩主毛利元徳は徳山毛利家の出身であった。幕末は宗藩である長州藩と行動を共にし、四境戦争を戦った。 | |||
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あ行 |
浅見 安之丞 あさみ やすのじょう (1833-1865) 徳山藩 (徳山七士) | 政変により殉死した徳山七士の一人 変名:浅見正虔、浅見伯恭、浅見烟渓 主な役職:鳴鳳館槍術指南役、鳴鳳館訓導役 剣術:大島流槍術 墓所:不明 | ||
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飯田 忠彦 いいだ ただひこ (1799-1860) 徳山藩 | 「大日本史」の続編を完成させた国学者 変名:松尾恒憲、飯田要人、飯田持直 主な役職:有栖川宮家家来無席 剣術:- 墓所:京都市左京区龍源寺 | ||
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井上 唯一 いのうえ ただいち (1842-1864) 徳山藩 (徳山七士) | 政変により殉死した徳山七士の一人 変名:井上彦太郎、井上和彦、井上和暢 主な役職:徳山藩海防局長、徳山藩会計局長 剣術:大島流槍術 墓所:不明 | ||
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江村 彦之進 えむら ひこのしん (1832-1864) 徳山藩 (徳山七士) | 政変により殉死した徳山七士の一人 変名:江村厚、江村季徳、江村風月 主な役職:徳山藩海防局長、徳山藩会計局長 剣術:- 墓所:不明 | ||
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か行 |
河田 佳蔵 かわだ かぞう (1842-1864) 徳山藩 (徳山七士) | 政変により殉死した徳山七士の一人 変名:林佳蔵、河田政佳、河田月波 主な役職:徳山藩京都周旋方、先鋒隊元締役 剣術:北辰一刀流剣術 墓所:不明 | ||
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児玉 源太郎 こだま げんたろう (1852-1906) 徳山藩 | 明治の名将にして日露戦争の英雄 | ||
変名:児玉忠精 主な役職:台湾総督、内務大臣、満州軍総参謀長、参謀総長、南満洲鉄道創立委員長 剣術:ー 墓所:府中市多磨町多磨霊園 | |||
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児玉 次郎彦 こだま じろうひこ (1842-1864) 徳山藩 (徳山七士) | 政変により殉死した徳山七士の一人 | ||
変名:児玉忠炳、児玉青山、児玉品山 主な役職:徳山藩京都留守居役、鳴鳳館助訓役兼寮長 剣術:ー 墓所:周南市大字徳山興元寺 | |||
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さ行 |
信田 作太夫 しだ さくだゆう (1825-1865) 徳山藩 (徳山七士) | 政変により殉死した徳山七士の一人 | ||
変名:信田徽胤、信田秋琴 主な役職:京都周旋方 剣術:大島流槍術 墓所:不明 | |||
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た行 |
な行 |
は行 |
本城 清 ほんじょう きよし (1825-1865) 徳山藩 (徳山七士) | 政変により殉死した徳山七士の一人 変名:江村清、本城斐、本城仲章、本城素堂 主な役職:興譲館訓導役、代官役 剣術:− 墓所:不明 | ||
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ま行 |
毛利 元功 もうり もといさ (1851-1900) 徳山藩 |
藩主名代として徳山藩兵を率いた10代徳山毛利家当主 |
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変名:毛利平六郎、毛利就右 主な役職:10代徳山当主 剣術:ー 墓所:周南市徳山大成寺徳山毛利家墓所 |
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毛利 元徳 もうり もとのり |
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毛利 元蕃 もうり もとみつ (1816-1884) 徳山藩 | 教養人としても優れていた徳山藩最後の藩主 | ||
変名:毛利徳太郎、毛利就軌、毛利広篤、毛利元蕃、岐陽、烙庵、随風堂 主な役職:9代徳山藩主、徳山藩知事 剣術:ー 墓所:周南市徳山大成寺徳山毛利家墓所 | |||
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や行 |
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