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【三百諸藩の幕末の動向】東北の諸藩/関東の諸藩/東海の諸藩/甲信越の諸藩/北陸の諸藩/近畿の諸藩/中国の諸藩/四国の諸藩/九州北部の諸藩/九州南部の諸藩 【その他リストなど】幕末明治の艦艇/御三卿・幕府直轄地拠点/幕末人物 墓所訪問 【晋作の愛した下関】豊北町・豊浦町/豊田町・菊川町/吉母・吉見・福江/向日・井田・田倉/吉田・清末/安岡・綾羅木・延行/長府/市街(下関〜唐戸)/彦島 |
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岩国藩人物録 | ||||||
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岩国藩(吉川岩国領) 6万石 吉川家 岩国城 岩国藩は、長州藩からは家臣であるとして支藩と認められず、幕府からは大名と扱われているという極めて変則的な立場であった。それは関ヶ原の戦いにおいて、藩祖吉川広家が東軍に内通して西軍の敗退を招き、120万石あった毛利領を36万石に減封させられたことに由来する。その後、幾度となく毛利宗家と対立しましたが、四境戦争から毛利宗家と行動を共にした。 ※長州藩人物録に戻る。 ※長府藩人物録はこちらから。 ※徳山藩人物録はこちらから。 |
あ行 |
有坂 成章 ありさか なりあき (1852-1915) 岩国藩 |
世界を震撼させた有坂銃・有坂砲の開発者 |
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変名:士木部四郎、有坂四郎 主な役職:陸軍技術審査部長、陸軍中将 剣術:− 墓所:岩国市錦見普済寺 |
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井上 光 いのうえ ひかる (1851-1908) 岩国藩 |
明治の戦争を歴戦した陸軍大将 |
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変名:森脇復吉 主な役職:陸軍参謀長、陸軍師団長、陸軍大将 剣術:− 墓所:岩国市錦見普済寺 |
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宇野 金太郎 うの きんたろう (1828-1862) 岩国藩 |
箸で蝿をつまめたという伝説の剣豪 |
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変名:宇野重義 主な役職:養老館剣術師範 剣術:片山流剣術、直心影流剣術、北辰一刀流剣術 墓所:岩国市錦見普済寺 |
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か行 |
吉川 経健 きっかわ つねたけ (1855-1909) 岩国藩 | 旧藩士の自立を支援し岩国の発展に尽力した最後の岩国藩主 | ||
変名:菊川芳之助 主な役職:第2代岩国藩主 剣術:− 墓所:岩国市横山洞泉寺山墓地 | |||
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吉川 経幹 きっかわ つねまさ (1829-1867) 岩国藩 |
本家との融和に務めた岩国領主 |
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変名:吉川駿河守、吉川監物、吉川亀之進 主な役職:岩国領12代当主、初代岩国藩主 剣術:− 墓所:岩国市横山洞泉寺山墓地 |
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栗栖 天山 くるす てんざん (1839-1867) 岩国藩 |
岩国領の尊王攘夷運動に邁進した岩国三士の一人 |
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変名:栗栖平次郎、栗栖靖、栗栖子共 主な役職:養老館助教、精義隊参謀 剣術:- 墓所:岩国市錦見妙覚院 |
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さ行 |
た行 |
玉乃 世履 たまの せいり(よふみ) (1825-1886) 岩国藩 |
謎の死を遂げた明治の今大岡 |
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変名:桂東平、桂泰吉郎、玉乃泰吉郎、玉乃五竜 主な役職:司法権大判事、大審院長、司法大輔 剣術:- 墓所:京都台東区谷中霊園 |
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な行 |
南部 五竹 なんぶ ごちく (1831-1867) 岩国藩 |
岩国領の尊王攘夷運動に邁進した岩国三士の一人 |
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変名:南部裕、南部俊三郎、南部君綽、白雲洞、清虚山人、白雲道人 主な役職:- 剣術:- 墓所:岩国市錦見岩国琥珀墓地 |
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は行 |
長谷川 藤次郎 はせがわ とうじろう (1818-1893) 岩国藩 |
真心自得流を開いた岩国の剣豪 |
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変名:長谷川親友 主な役職:養老館剣術師範 剣術:片山流剣術、直心影流剣術、真心自得流剣術 墓所:岩国市錦見普済寺 |
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東 沢瀉 ひがし たくしゃ (1832-1891) 岩国藩 |
岩国領の尊王攘夷運動に邁進した岩国三士の一人 |
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変名:東崇一郎、東正純、東白沙 主な役職:養老館助教、精義隊総督、沢瀉塾主宰 剣術:- 墓所:岩国市通津東沢瀉記念館 |
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福原 範輔 ふくはら のりすけ (1826-1893) 岩国藩 |
農兵を率いた柳生新陰流の剣豪 |
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変名:福原至信、福原竹斎 主な役職:敢従隊隊長、建尚隊参謀 剣術:柳生新陰流剣術 墓所:岩国市錦見普済寺 |
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ま行 |
や行 |
ら行 |
わ行 |
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