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山内家一門人物録

山内家一門

土佐山内家は、鎌倉の山内荘の山内首藤氏の系譜。土佐山内家の先祖は室町時代に丹波国に移り、さらに久豊の時代に尾張国へ移って、尾張山内氏の祖となったといわれる。盛豊の時代に織田信長に攻められ、流浪の身となった後に豊臣秀吉に仕え、関ヶ原合戦では東軍として戦い土佐 一国を領する土佐藩主に任じられた。以後土佐山内家は江戸時代を通じて16代にわたり土佐藩主を努める。



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山内宗家(土佐国主)24万2000石


山内 豊惇
やまうち とよあつ
(1824-1848)
土佐藩

就任から2週間で死去した土佐藩主
文政7年、第12代土佐藩主山内豊資の次男として生まれる。嘉永元年、先代藩主だった兄の山内豊熈が死去したため、家督を継いで藩主となったが、家督を継いで2週間足らずで死去した。嗣子が無く、跡目は分家出身の山内容堂が継ぐことになる。


変名:山内敏衛、山内式部、山内兵部
主な役職:第14代土佐藩主
剣術:-
墓所:高知市天神町 真如寺


山内 豊熈
やまうち とよてる
(1815-1848)
土佐藩

藩政改革半ばで死去した土佐藩主
文化12年、第12代土佐藩主山内豊資の長男として生まれる。天保14年、父の隠居により跡を継いで藩主となる。藩政改革を実施し、藩財政の収支の見直し、専売制の強化、問屋制からの脱却による寄生的な藩財政体質の改善など、旧体制からの脱却と新体制の確立を目指した。嘉永元年、参勤交代の途中に、34歳の若さで死去した。


変名:山内政太郎、山内晟太郎、山内直寿、山内君戴、山内三鏡、山内鏡斎、山内芳洲
主な役職:第13代土佐藩主
剣術:-
墓所:高知市天神町 真如寺


山内 豊範
やまうち とよのり
(1846-1896)
土佐藩

容堂の傀儡であった最後の土佐藩主
弘化3年、第12代土佐藩主山内豊資の十一男として生まれる。嘉永元年、兄の第13代藩主山内豊熈、第14代藩主豊惇が相次いで死去するが、家督を継ぐには年齢が若すぎた為、分家のひとつ南邸山内家の山内豊信が継承して第15代藩主となった。安政6年、安政の大獄で豊信が隠居処分となったために、家督を継承し第16代土佐藩主となるが、実権は豊信に握られた。明治4年の廃藩置県後は、鉄道や銀行などの事業成立に寄与する。明治19年、死去。


変名:山内熊五郎、山内鹿次郎、鵬洋
主な役職:第16代土佐藩主
剣術:-
墓所:高知市天神町 真如寺


山内 容堂
やまうち ようどう
(1827-1872)
土佐藩

自らを鯨海醉候と称した幕末の四賢侯の一人
文政10年、南邸山内家当主山内豊著の長男として生まれる。嘉永元年、藩主に就任。革新派の吉田東洋を起用した。嘉永6年、東洋を新たに設けた仕置役に任じ、西洋軍備採用・海防強化・財政改革・藩士の長崎遊学・身分制度改革・文武官設立などの藩政改革を断行した。また、幕政にも積極的に口を挟み、老中阿部正弘に幕政改革を訴えた。阿部正弘死去後、大老に就いた井伊直弼と将軍継嗣問題で真っ向から対立。次期将軍に一橋慶喜を推しが、井伊は紀州藩主徳川慶福を推し、大老の地位を利用し慶福が14代将軍家茂となることに決まった。容堂はこれに憤慨し、安政6年、隠居願いを幕府に提出するが、隠居の身ながら藩政に影響を与え続ける。文久3年、八月十八日の政変後、土佐勤王党を弾圧し壊滅させた。慶応3年、幕府排除と王政復古のための薩土同盟が成立。容堂は老中板倉勝静らを通して15代将軍徳川慶喜に大政奉還を建白する。明治維新後は内国事務総裁に就任したが、かつて家臣や領民であったような身分の者と馴染む事ができず、明治2年に辞職。しかし木戸孝允とは仲が良く、自邸に招いては明治政府の将来などについて語り合ったという。明治5年、積年の飲酒が元で脳溢血で死亡した。


変名:山内輝衛、山内豊信、山内忍堂、鯨海酔侯
主な役職:南邸山内家2代当主、第15代土佐藩主、内国事務総裁
剣術:無外流剣術、長谷川英信流居合術
墓所:東京都品川区 大井公園


□ 支藩 □


支藩麻布山内家(土佐新田藩)1万3000石

江戸時代後期の安永9年、かつての支藩であった中村藩の系譜で山内家一門の山内豊産が、1万3000石を本藩より分与され立藩。参勤交代を行わない定府大名として6代90年間続いた。代々江戸麻布古川町の上屋敷に居住したことから、麻布山内家と称されている。明治3年に土佐藩に編入。


山内 豊誠
やまのうち とよしげ
(1842-1908)
土佐新田藩

自害した前藩主の死を隠し藩主となった最後の新田藩藩主
天保13年、土佐新田藩士山内豊充の長男として生まれる。明治元年、先代藩主山内豊福が自害したため、重病だとして自害を隠して養子となり、第6代藩主となった。戊辰戦争では本家と共に新政府軍に参加。明治3年、廃藩置県に先立ち、土佐新田藩は本藩に編入し廃藩となった。明治3年、明治天皇の次侍従となる。その後は司法省や宮内省に出仕した。明治23年、貴族院議員に選出。明治41年、死去。


変名:-
主な役職:第6代土佐新田藩主
剣術:-
墓所:東京都港区 曹渓寺


山内 豊福
やまのうち とよよし
(1836-1868)
土佐新田藩

本家と幕府の間で板挟みとなった悲劇の新田藩藩主
天保7年、秋月藩主黒田長元の次男として生まれる。嘉永6年、土佐新田藩主山内豊賢の養嗣子となる。安政3年、養父の隠居により家督を継ぐ。 本家を助けて藩の軍制を洋式化し、軍備増強に努める。急進的な佐幕派であり、鳥羽伏見の戦い後は、江戸城に入り善後策を協議するが、本家が倒幕に方針転換をしたため、進退に苦悩して自害した。


変名:-
主な役職:第5代土佐新田藩主
剣術:-
墓所:高知市旭天神町水道山、東京都港区
曹渓寺


□ 一門 □


深尾家(一門家老家筆頭)1万石

深尾氏は藩祖の頃より代々筆頭家老を務める家柄で、その祖は宇多源氏の江州佐々木一族の出であるとも云われる。美濃国の太郎丸城主だった深尾重忠が山内一豊に仕え、一豊が土佐に転封になると佐川1万石を与えられ筆頭家老となった。

深尾 重先
ふかお しげもと
(1827-1890)
土佐藩

容堂を補佐した土佐藩筆頭家老
文政10年、佐川深尾家9代当主の弟である采女重愷の子として生まれ、深尾家に養子に入る。藩内の要職に就くが、尊皇派であった為に一時屏居を命ぜられるが、許されて15代藩主山内容堂に用いられた。慶応4年、土佐藩兵が起こした堺事件では、事後の処理を担当。京都での土佐藩の活動において藩主を補佐する。維新後も藩主を補佐し、藩籍奉還後の諸政改革にも功績をあげた。明治23年、死去。


変名:深尾鼎、深屋康臣
主な役職:佐川深尾家10代当主
剣術:-
墓所:高知県高岡郡佐川町 青源寺


深尾 重愛
ふかお しげよし
(1846-1872)
土佐藩

松山藩征討の先鋒を務めた深尾家嫡子
弘化3年、佐川深尾家9代当主深尾重教の三男として生まれる。嘉永6年、幼くして父重教が死去したため、従兄の重先が家督相続し、その嫡子となる。万延元年、重先が屏居を命じられた為に家督を相続するが、文久2年に重先が許され復職したために家督を返して嫡子に戻った。慶応4年、土佐藩の松山藩征討の際には、その先鋒を務める。明治4年、重先の隠居により再び家督を相続。一時兵部省に出仕しているが、辞職して高知に帰った。明治5年、死去。


変名:深尾市太郎、深尾内記、深尾刑部
主な役職:佐川深尾家11代当主
剣術:-
墓所:高知県高岡郡佐川町 青源寺



宿毛山内家(一門家老家)7000石

美濃国北方領主安東郷氏と山内一豊の姉の子山内可氏が、一豊の土佐転封に伴い宿毛7000石を与えられ家老となった。

山内 氏理
やまうち うじさと
(1817-1889)
土佐藩

文化14年、宿毛山内家10代山内氏固の長男として生まれる。文久元年、土佐藩16代藩主山内豊範帰国の御礼役として江戸へ出府。14代将軍徳川家茂に御目見した。帰国後は、藩主を補佐して土佐藩の財政再建に尽力する。明治元年の戊辰戦争では、家臣で構成された宿毛機勢隊を派遣し、嫡男の山内氏成に指揮させた。明治4年に東京へ移り住む。明治21年、死去。5月27日東京にて没。年72。法名を一瓢院平山自安といい青山墓地に葬る。のち昭和28年宿毛東山墓地に改葬。妻は山内容堂の姉遊稀。三男太郎左衛門氏成(明治2年伊賀陽太郎と改名)があとを継ぎ、そのあとは実子がないため山内勇の身氏廣に岩村通俊の4女北子を配して後嗣とした。その跡を三省が継いでいる。

変名:山内千之助、山内左衛門佐、山内主馬、伊賀藤太
主な役職:宿毛山内家11代当主
剣術:-
墓所:宿毛市桜町 東福院 東山墓地



西邸山内家(連枝家)

土佐藩9代藩主山内豊雍の二男豊敬により創設された分家。

山内 豊樹
やまうち とよたて
(1825-1884)
土佐藩


変名:山内登五郎
主な役職:西邸山内家2代当主
剣術:-
墓所:高知市筆山町 筆山公園


山内 豊教
やまうち とよのり
(-)
土佐藩


変名:-
主な役職:西邸山内家3代当主
剣術:-
墓所:



東邸山内家(連枝家)

第10代藩主山内豊策の三男豊道により創設された分家。

山内 豊誉
やまうち とよたか
(1841-1867)
土佐藩
天保12年、南邸山内家当主山内豊著の七男として生まれ、東邸山内家当主山内豊道の養子となる。文久元年、武市瑞山が吉田東洋政権と激しく対峙した時、文武館総宰山内豊栄と共に東洋の排斥を図る。土佐勤王党が東洋の暗殺をすると藩内の混乱を収拾させて保守派政権を設立させた。文久3年、京都情勢の変化により失脚。慶応3年、死去。

変名:-
主な役職:東邸山内家2代当主
剣術:-
墓所:高知市筆山町 筆山公園


山内 豊盈
やまうち とよみち
(1835-1897)
土佐藩
天保6年、南邸山内家当主山内豊著の子として生まれる。15代土佐藩主山内豊信(容堂)の弟。慶応3年、東邸山内家当主で弟の山内豊誉の死後、東低山内家を継ぐ。明治30年、死去。

変名:-
主な役職:西邸山内家4代当主
剣術:-
墓所:高知市筆山町 筆山公園



追手邸山内家(連枝家)

第10代藩主山内豊策の四男豊著により創設された分家。

山内 豊章
やまうち とよあき
(1843-1915)
土佐藩


変名:-
主な役職:追手邸山内家3代当主、藤並神社祠官、土佐神社宮司
剣術:-
墓所:高知市筆山町 筆山公園

山内 豊著
やまうち とよつぐ
追手邸初代当主及び南邸山内家初代当主。


山内 豊栄
やまうち とよよし
(1815-1863)
土佐藩


変名:-
主な役職:追手邸山内家2代当主、教授館総宰、文武館総宰
剣術:-
墓所:高知市筆山町 筆山公園



南邸山内家(連枝家)

追手邸山内家を創設した山内豊著が、弟(豊策の六男)豊栄に追手邸山内家を譲り、新たに創設された分家。

山内 豊著
やまうち とよつぐ
(1802-1859)
土佐藩


変名:-
主な役職:追手邸山内家初代当主、南邸山内家初代当主
剣術:-
墓所:高知市筆山町 筆山公園


山内 豊積
やまうち とよつみ
(1834-1894)
土佐藩


変名:-
主な役職:南邸山内家3代当主
剣術:-
墓所:高知市筆山町 筆山公園

山内 豊信
やまうち とよのぶ
南邸山内家2代当主。 後の第15代土佐藩主山内容堂。



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