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【三百諸藩の幕末の動向】東北の諸藩/関東の諸藩/東海の諸藩/甲信越の諸藩/北陸の諸藩/近畿の諸藩/中国の諸藩/四国の諸藩/九州北部の諸藩/九州南部の諸藩 【その他リストなど】幕末明治の艦艇/御三卿・幕府直轄地拠点/幕末人物 墓所訪問 【晋作の愛した下関】豊北町・豊浦町/豊田町・菊川町/吉母・吉見・福江/向日・井田・田倉/吉田・清末/安岡・綾羅木・延行/長府/市街(下関~唐戸)/彦島 |
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山内家一門人物録 | ||||||
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土佐山内家は、鎌倉の山内荘の山内首藤氏の系譜。土佐山内家の先祖は室町時代に丹波国に移り、さらに久豊の時代に尾張国へ移って、尾張山内氏の祖となったといわれる。盛豊の時代に織田信長に攻められ、流浪の身となった後に豊臣秀吉に仕え、関ヶ原合戦では東軍として戦い土佐 一国を領する土佐藩主に任じられた。以後土佐山内家は江戸時代を通じて16代にわたり土佐藩主を努める。 | |||
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山内 豊惇 やまうち とよあつ (1824-1848) 土佐藩 | 就任から2週間で死去した土佐藩主 変名:山内敏衛、山内式部、山内兵部 主な役職:第14代土佐藩主 剣術:- 墓所:高知市天神町 真如寺 | ||
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山内 豊熈 やまうち とよてる (1815-1848) 土佐藩 | 藩政改革半ばで死去した土佐藩主 変名:山内政太郎、山内晟太郎、山内直寿、山内君戴、山内三鏡、山内鏡斎、山内芳洲 主な役職:第13代土佐藩主 剣術:- 墓所:高知市天神町 真如寺 | ||
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山内 豊範 やまうち とよのり (1846-1896) 土佐藩 |
容堂の傀儡であった最後の土佐藩主 変名:山内熊五郎、山内鹿次郎、鵬洋 主な役職:第16代土佐藩主 剣術:- 墓所:高知市天神町 真如寺 |
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山内 容堂 やまうち ようどう (1827-1872) 土佐藩 | 自らを鯨海醉候と称した幕末の四賢侯の一人 変名:山内輝衛、山内豊信、山内忍堂、鯨海酔侯 主な役職:南邸山内家2代当主、第15代土佐藩主、内国事務総裁 剣術:無外流剣術、長谷川英信流居合術 墓所:東京都品川区 大井公園 | ||
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江戸時代後期の安永9年、かつての支藩であった中村藩の系譜で山内家一門の山内豊産が、1万3000石を本藩より分与され立藩。参勤交代を行わない定府大名として6代90年間続いた。代々江戸麻布古川町の上屋敷に居住したことから、麻布山内家と称されている。明治3年に土佐藩に編入。 |
山内 豊誠 やまのうち とよしげ (1842-1908) 土佐新田藩 | 自害した前藩主の死を隠し藩主となった最後の新田藩藩主 変名:- 主な役職:第6代土佐新田藩主 剣術:- 墓所:東京都港区 曹渓寺 | ||
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山内 豊福 やまのうち とよよし (1836-1868) 土佐新田藩 | 本家と幕府の間で板挟みとなった悲劇の新田藩藩主 変名:- 主な役職:第5代土佐新田藩主 剣術:- 墓所:高知市旭天神町水道山、東京都港区 曹渓寺 | ||
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深尾氏は藩祖の頃より代々筆頭家老を務める家柄で、その祖は宇多源氏の江州佐々木一族の出であるとも云われる。美濃国の太郎丸城主だった深尾重忠が山内一豊に仕え、一豊が土佐に転封になると佐川1万石を与えられ筆頭家老となった。 |
深尾 重先 ふかお しげもと (1827-1890) 土佐藩 |
容堂を補佐した土佐藩筆頭家老 変名:深尾鼎、深屋康臣 主な役職:佐川深尾家10代当主 剣術:- 墓所:高知県高岡郡佐川町 青源寺 | ||
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深尾 重愛 ふかお しげよし (1846-1872) 土佐藩 |
松山藩征討の先鋒を務めた深尾家嫡子 変名:深尾市太郎、深尾内記、深尾刑部 主な役職:佐川深尾家11代当主 剣術:- 墓所:高知県高岡郡佐川町 青源寺 | ||
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美濃国北方領主安東郷氏と山内一豊の姉の子山内可氏が、一豊の土佐転封に伴い宿毛7000石を与えられ家老となった。 |
山内 氏理 やまうち うじさと (1817-1889) 土佐藩 | 文化14年、宿毛山内家10代山内氏固の長男として生まれる。文久元年、土佐藩16代藩主山内豊範帰国の御礼役として江戸へ出府。14代将軍徳川家茂に御目見した。帰国後は、藩主を補佐して土佐藩の財政再建に尽力する。明治元年の戊辰戦争では、家臣で構成された宿毛機勢隊を派遣し、嫡男の山内氏成に指揮させた。明治4年に東京へ移り住む。明治21年、死去。5月27日東京にて没。年72。法名を一瓢院平山自安といい青山墓地に葬る。のち昭和28年宿毛東山墓地に改葬。妻は山内容堂の姉遊稀。三男太郎左衛門氏成(明治2年伊賀陽太郎と改名)があとを継ぎ、そのあとは実子がないため山内勇の身氏廣に岩村通俊の4女北子を配して後嗣とした。その跡を三省が継いでいる。 変名:山内千之助、山内左衛門佐、山内主馬、伊賀藤太 主な役職:宿毛山内家11代当主 剣術:- 墓所:宿毛市桜町 東福院 東山墓地 | ||
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土佐藩9代藩主山内豊雍の二男豊敬により創設された分家。 |
山内 豊樹 やまうち とよたて (1825-1884) 土佐藩 | 変名:山内登五郎 主な役職:西邸山内家2代当主 剣術:- 墓所:高知市筆山町 筆山公園 | ||
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山内 豊教 やまうち とよのり (-) 土佐藩 | 変名:- 主な役職:西邸山内家3代当主 剣術:- 墓所: | ||
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第10代藩主山内豊策の三男豊道により創設された分家。 |
山内 豊誉 やまうち とよたか (1841-1867) 土佐藩 | 天保12年、南邸山内家当主山内豊著の七男として生まれ、東邸山内家当主山内豊道の養子となる。文久元年、武市瑞山が吉田東洋政権と激しく対峙した時、文武館総宰山内豊栄と共に東洋の排斥を図る。土佐勤王党が東洋の暗殺をすると藩内の混乱を収拾させて保守派政権を設立させた。文久3年、京都情勢の変化により失脚。慶応3年、死去。 変名:- 主な役職:東邸山内家2代当主 剣術:- 墓所:高知市筆山町 筆山公園 | ||
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山内 豊盈 やまうち とよみち (1835-1897) 土佐藩 |
天保6年、南邸山内家当主山内豊著の子として生まれる。15代土佐藩主山内豊信(容堂)の弟。慶応3年、東邸山内家当主で弟の山内豊誉の死後、東低山内家を継ぐ。明治30年、死去。 変名:- 主な役職:西邸山内家4代当主 剣術:- 墓所:高知市筆山町 筆山公園 |
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第10代藩主山内豊策の四男豊著により創設された分家。 |
山内 豊章 やまうち とよあき (1843-1915) 土佐藩 | 変名:- 主な役職:追手邸山内家3代当主、藤並神社祠官、土佐神社宮司 剣術:- 墓所:高知市筆山町 筆山公園 | ||
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山内 豊著 やまうち とよつぐ | 追手邸初代当主及び南邸山内家初代当主。 | ||
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山内 豊栄 やまうち とよよし (1815-1863) 土佐藩 | 変名:- 主な役職:追手邸山内家2代当主、教授館総宰、文武館総宰 剣術:- 墓所:高知市筆山町 筆山公園 | ||
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追手邸山内家を創設した山内豊著が、弟(豊策の六男)豊栄に追手邸山内家を譲り、新たに創設された分家。 |
山内 豊著 やまうち とよつぐ (1802-1859) 土佐藩 | 変名:- 主な役職:追手邸山内家初代当主、南邸山内家初代当主 剣術:- 墓所:高知市筆山町 筆山公園 | ||
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山内 豊積 やまうち とよつみ (1834-1894) 土佐藩 | 変名:- 主な役職:南邸山内家3代当主 剣術:- 墓所:高知市筆山町 筆山公園 | ||
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山内 豊信 やまうち とよのぶ | 南邸山内家2代当主。 後の第15代土佐藩主山内容堂。 | ||
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