|
||||||
【三百諸藩の幕末の動向】東北の諸藩/関東の諸藩/東海の諸藩/甲信越の諸藩/北陸の諸藩/近畿の諸藩/中国の諸藩/四国の諸藩/九州北部の諸藩/九州南部の諸藩 【その他リストなど】幕末明治の艦艇/御三卿・幕府直轄地拠点/幕末人物 墓所訪問 【晋作の愛した下関】豊北町・豊浦町/豊田町・菊地町/吉母・吉見・福江/向日・井田・田倉/吉田・清末/安岡・綾羅木・延行/長府/市街(下関〜唐戸)/彦島 |
松下村塾 萩市椿東1537 松蔭神社境内 昌平坂学問所(湯島聖堂) 東京都文京区湯島1-4-25 松陰先生終焉之地(伝馬町牢屋敷跡) 東京都中央区日本橋小伝馬町 |
松下村塾 | |||||||||||||||||
安政元年、吉田松陰は弟子の金子重之輔と二人で小船で黒船に乗り込み、密航する計画を企てるが、船員達はそれを拒否して二人を陸に戻す。松蔭は下田町隣村の名主に自首し、下田で取調べを受けた後、伝馬町の牢屋敷に送られた(この密航事件に連座して佐久間象山も投獄されている)。
吉田松陰の松下村塾出身者は、高杉晋作以外にも久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一、伊藤博文、山縣有朋、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義など蒼々たるメンバーです。しかし、松門四天王と呼ばれる高杉、久坂、吉田、入江は皆、明治維新を見ずにこの世を去ってしまいます(高杉(病死)、久坂(禁門の変)、吉田(池田屋事件)、入江(禁門の変))。吉田松陰の松下村塾は、わずか2年余りの短い期間でしたが、その短い期間の中で塾生達に実学を教えました。松下村塾時代のエピソードは、明治の元勲達によって色々と語られ、現在に伝えられています。 次へ 高杉晋作略歴に戻る |
||||||||||||||||||
|
トップページへ |