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【三百諸藩の幕末の動向】東北の諸藩/関東の諸藩/東海の諸藩/甲信越の諸藩/北陸の諸藩/近畿の諸藩/中国の諸藩/四国の諸藩/九州北部の諸藩/九州南部の諸藩 【その他リストなど】幕末明治の艦艇/御三卿・幕府直轄地拠点/幕末人物 墓所訪問 【晋作の愛した下関】豊北町・豊浦町/豊田町・菊川町/吉母・吉見・福江/向日・井田・田倉/吉田・清末/安岡・綾羅木・延行/長府/市街(下関〜唐戸)/彦島 |
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諸藩人物録 | ||||||
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諸藩 徳川統治時代(江戸時代)には大小300余の藩が存在し、それぞれの所領を統治した。鎖国により門を閉ざしていた日本は、ペリーの来航によって西洋の衝撃を受け、国防意識の高まりとナショナリズムの勃興を背景に、人々はそれぞれの立場で日本の行く末を危惧することになる。それは、尊皇-公武合体-佐幕、開国-攘夷と様々な思想を自論として、藩論として展開していった。 ※ここでは、薩長土と奥羽越藩以外の諸藩志士達を紹介します。 | |
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あ行 |
朝比奈 茂吉 あさひな もきち |
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安藤 直裕 あんどう なおひろ |
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石坂 周造 いしざか しゅうぞう (1832-1903) 彦根藩 | 清河八郎と共に幕府転覆を謀った石油産業の祖 変名:石坂宗順 主な役職:浪士組頭取、長野石炭油会社社長 剣術:- 墓所:東京都台東区全生庵 | ||
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宇津木 六之丞 うつき ろくのじょう |
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梅田 雲浜 うめだ うんぴん (1815-1859) 小浜藩 |
安政の大獄で獄死した尊皇攘夷運動の先鋒 変名:矢部源次郎、梅田源次郎、梅田義質、梅田定明、湖南 主な役職:湖南塾主宰 剣術:- 墓所:東京都台東区海禅寺、京都市東山区安祥院、小浜市北塩屋松源寺 |
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大石 進 おおいし すすむ (1797-1863) 柳川藩 |
江戸の剣士が恐れた九州の剣豪 変名:大石種次、大石武楽、大石七太夫 主な役職:柳川藩剣槍師範役 剣術:大石新陰流剣術、大島流槍術 墓所:大牟田市岩本慧日寺 |
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大高 忠兵衛 おおたか ちゅうべえ (1723-1864) 林田藩 |
池田屋で新選組に捕らえられ獄死した甲冑職人 変名:常城忠兵衛 主な役職:- 剣術:- 墓所:京都市東山区安祥院、京都霊山護国神社 |
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大高 又次郎 おおたか またじろう (1721-1864) 林田藩 |
池田屋で新選組に討たれた赤穂浪士の末裔 変名:大高勘助、大高重秋 主な役職:- 剣術:- 墓所:京都市左京区三縁寺、京都霊山護国神社 |
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緒方 洪庵 おがた こうあん (1810-1863) 足守藩 |
多くの優秀な人材を輩出した適塾の主宰 変名:緒方章、緒方公裁、緒方適々斎、緒方華陰 主な役職:適塾主宰 剣術:- 墓所:東京都文京区高林寺 |
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か行 |
加西 忠左衛門 かさい ちゅうざえもん |
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河上 彦斎 かわかみ げんさい (1834-1872) 熊本藩 |
攘夷の信念を貫いた人斬り彦斎 変名:河上玄明、高田源兵衛 主な役職:鶴崎兵隊長 剣術:伯耆流居合術?我流? 墓所:東京都池上本門寺 |
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河田 佐久馬 かわた さくま (1828-1897) 鳥取藩 |
剣術に優れた鳥取藩尊皇攘夷派の首魁 変名:河田権次郎、河田祺景、河田景与、河田研田 主な役職:鳥取藩京都留守居役、山国隊隊長、弾正大忠、鳥取県権令、元老院議官 剣術:河田派一刀流剣術、香取神道流剣術、大石神影流剣術 墓所:東京都府中市多磨霊園 |
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岸 静江 きし しずえ |
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清河 八郎 きよかわ はちろう (1830-1863) 庄内藩 |
浪士組を結成し倒幕を謀った希代の策士 変名:斉藤元司、清河旦起、清河木鶏、斉藤正明、清川八郎 主な役職:浪士取締役 剣術:北辰一刀流剣術 墓所:東京都文京区伝通院 |
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河野 四郎 こうの しろう |
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小宮 民部 こみや みんぶ |
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さ行 |
佐久間 象山 さくま しょうざん (1811-1864) 松代藩 | 洋学に傾向した松代三山の一人 変名:佐久間修理、佐久間国忠、佐久間啓、佐久間子迪、佐久間子明 主な役職:- 剣術:墳原卜伝流武術 墓所:長野市松代町蓮乗寺 | ||
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宍戸 弥四郎 ししど やしろう (1833-1863) 刈谷藩 |
中山忠光を逃がすためにおとりとなった天誅組義士 変名:宍戸昌明、道一軒 主な役職:- 剣術:窪田派田宮流剣術 墓所:刈谷市銀座松秀寺 |
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島村 志津摩 しまむら しずま |
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た行 |
滝 善三郎 たき ぜんざぶろう (1837-1868) 岡山藩 |
初めて外国人に切腹を見せ付けた神戸事件の当事者 変名:滝正信 主な役職:馬廻役 剣術:一刀流剣術、萩野流砲術 墓所:岡山市東山墓地桜ヶ丘、京都市右京区回春院 |
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立見 鑑三郎 たつみ かんざぶろう |
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伊達 宗城 だて むねなり (1818-1892) 宇和島藩 | 宇和島藩の藩政改革や軍制の近代化に着手した四賢候の一人 文政元年、旗本山口直勝の子として江戸で生まれる。文政12年、伊達宗紀の養子となる。天保15年、宗紀の隠居に伴い藩主に就任。宗紀の殖産興業を中心とした藩政改革を発展させ、木蝋の専売化、石炭の埋蔵調査などを実施した。幕府から追われ江戸で潜伏していた高野長英を招き、更に長州より村田蔵六を招き、軍制の近代化にも着手した。更に福井藩主松平春嶽、土佐藩主山内容堂、薩摩藩主島津斉彬とも交流を持ち「四賢侯」と称された。安政5年、大老に就いた井伊直弼と将軍継嗣問題で真っ向から対立。井伊直弼は大老強権を発動し、14代将軍を家茂とする。その後、安政の大獄により隠居謹慎を命じられる。宗城は伊達宗紀の実子宗徳を養子にして藩主の座を譲ったが、隠居の後も藩政に影響を与え続けた。文久3年には参預会議、慶応3年には四侯会議に参加し、国政に参与しているが、ともに短期間で崩壊した。慶応3年、王政復古後は新政府の議定に名を連ねる。しかし、明治元年に戊辰戦争が始まると、薩長の行動に抗議して辞任する。明治2年、民部卿兼大蔵卿となって、鉄道敷設のためイギリスからの借款を取り付けた。明治4年には欽差全権大臣として清との間で日清修好条規に調印し、その後は主に外国貴賓の接待役に任ぜられた。しかし、その年に中央政界より引退している。明治25年、東京今戸屋敷で病没した。 変名:山口亀三郎、伊達亀三郎、伊達兵五郎 主な役職:宇和島藩主、議定、民部卿、大蔵卿、欽差全権大臣 剣術:- 墓所:東京都台東区谷中霊園、宇和島市野川等覚寺 | ||
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土居 通夫 どい みちお (1837-1917) 宇和島藩 |
明治・正期の大阪財界の指導者 変名:大塚万之助、大塚彦六、土肥真一、土肥真一郎、土居真一郎、後家鞘彦六 主な役職:大阪府権少参事、大阪控訴裁判長、大阪商業会議所会頭 剣術:窪田派田宮流剣術 墓所:大阪市阿倍野区阿倍野墓地 |
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藤堂 高猷 とうどう たかゆき |
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な行 |
長野 主膳 ながの しゅぜん |
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永田 太郎兵衛 ながた たろうびょうえ |
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は行 |
服部 半蔵 はっとり はんぞう |
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林 忠崇 はやし ただたか |
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福澤 諭吉 ふくざわ ゆきち (1835-1901) 中津藩 |
実学の必要性を説いた明治の教育者 天保5年、中津藩士福澤百助の次男として生まれる。安政元年、19歳で長崎へ遊学して蘭学を学ぶ。安政2年からは、大坂へ出て緒方洪庵の適塾で学び、安政4年には、最年少で適塾の塾頭となった。安政5年、中津藩から江戸出府を命じられる。その後、三度の海外渡航で見識を磨き、慶応4年には、自身が開いていた蘭学塾を慶應義塾と名付け、教育活動に専念する。明治4年より「学問ノスゝメ」を発行。明治15年「時事新報」を創刊。人間の独立自尊、実学の必要性を説き、脱亜論をとなえた。明治25年には、北里柴三郎を助けて伝染病研究所を設立。明治31年、慶應義塾の学制を改革し、一貫教育制度を樹立。政治科も増設した。明治34年、脳溢血のため死去。 変名:福澤範、中村諭吉、明治卅弐季後之福翁 主な役職:慶應義塾主宰、東京学士会院会長 剣術:立身新流居合術 墓所:東京都港区善福寺 |
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ま行 |
松田 重助 まつだ じゅうすけ (1830-1864) 熊本藩 |
池田屋で新選組に討たれた肥後の攘夷志士 変名:井原重助、松田範義、波多野右馬助 主な役職:- 剣術:- 墓所:京都市左京区三縁寺、京都霊山護国神社 |
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松本 了一郎 まつもと りょういちろう |
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水野 忠幹 みずの ただもと |
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宮部 鼎蔵 みやべ ていぞう (1820-1864) 肥後藩 | 池田屋の露と消えた勤王志士の重鎮 変名:宮部鼎三、宮部増実、宮部田城 主な役職:- 剣術:- 墓所:熊本市小峰墓地、京都霊山護国神社 | ||
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陸奥 宗光 むつ むねみつ (1844-1897) 紀州藩 (亀山社中(海援隊)) |
龍馬の意思を継いだカミソリ外相 変名:伊達小次郎、陸奥陽之助 主な役職:駐米全権公使、農商務大臣、外務大臣 剣術:- 墓所:鎌倉市扇ヶ谷寿福寺 |
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や行 |
横井 小楠 よこい しょうなん (1809-1869) 熊本藩 |
松平春嶽に招かれ右腕となった維新十傑のひとり 変名:横井時存、平時存、平四郎、北条平四郎時存、北条四郎平時存 主な役職:時習館居寮長、小楠堂主宰、参与 剣術:- 墓所:京都市左京区南禅寺天授庵 |
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ら行 |
わ行 |
渡辺 新左衛門 わたなべ しんざえもん |
佐幕派諸藩士人物録へ |
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渡邉 昇 わたなべ のぼる (1838-1913) 大村藩 |
近代剣道の発展に尽力した人斬り 変名:渡邉武常、東民、其鳳 主な役職:盛岡県権知事、大阪府知事、元老院議官、会計検査院長、大日本武徳会商議員 剣術:一刀流剣術、神道無念流剣術 墓所:東京都港区青山霊園 |
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